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JS7) は、リジェチームが主に1977年シーズンのF1参戦に用いたフォーミュラカーである。設計はジェラール・ドゥカルージュ。リジェのF1初優勝マシンである。翌1978年シーズン第10戦イギリスGPまで使用された(改良型JS7/9を含む)。 1976年用のマシンJS5のシャーシ設計を踏襲している
リスのクラッシュに修理費用を出すことはできないと彼の放出を決心し、第11戦オランダグランプリを最後に彼を解雇した。後任はエンジン供給をするルノーの秘蔵っ子でもあるフランスの若手フィリップ・ストレイフを第12戦からの5レースで起用した。 チームのシーズン総獲得ポイントは23、コンストラクターズランキン
この年からF1に参戦したギ・リジェはチームポリシーとして『オールフランス』を標榜し、フランスのマトラ製V12エンジンを搭載して、多くのフランススポンサーからの潤沢な資金でシーズンを戦った。 ジャック・ラフィットがドライブするJS5は巨大なインダクションポッドを備え、「ティーポット」と揶揄された。その「ティーポ
が大きく変化する燃料タンクをエンジン後方に搭載したことで、レース中にハンドリングが変化してしまい目論見通りとはならなかった。ジャッドエンジンのオーバーヒートの問題も多かった。 また、当時のF1としては斬新なパワーステアリングを装備していた。しかし当時の装置は大きく重く、これもシャシバランスの悪さ
ルノーは第6戦終了時点ですでに前年を上回る11ポイント獲得、コンストラクターズ4位につけるなど、ルノーV10を搭載して2年目にしてやっとその強力なエンジンパワーに相応しいリザルトを残した。リジェがこれだけの活躍をするのは1986年のターボ時代以来7シーズンぶりのことであった。シーズン通算では23ポイ
った。チームは「後輪より後方のサイドスカート設置を禁ずるレギュレーションが明文化されていない」として抗議したが認められず、JS19はもう一度設計を練り直す必要が生じたために第7戦デトロイトと第8戦カナダを旧型JS17Bで参戦した。その間にJS19は改めて風洞実験を繰り返し短くされたサイドスカートでも
ライバルたちを押し退けて日曜朝のウォームアップセッションでブーツェン4位、コマス5位を占め、ミッテランを喜ばせた。ただしこれは決勝用のセッティング確認よりも軽いタンクでタイムを出しに行った結果だったため、決勝はコマスが2周遅れの11位、ブーツェンが3周遅れの12位で終えた。このほか同年にJS35Bが
のみ車高を下げるためにハイドロニューマチックシステムを採用したが、これはベルギーGPのレースまで効果的に作動させることが出来なかった。 エンジンはオーナーのギ・リジェが前年のフォードDFVに代わってタルボのバッジネームが付けられたマトラV12の獲得交渉を成功し、これを搭載することが出来た。MS81と