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これらの改善によって、同年末に本砲は制式制定された。 性能は3.7 cm PaK 36(ラ式三七粍対戦車砲)にほぼ匹敵する。 本砲の砲身は単肉自緊砲身であり全長1850mmの50口径、閉鎖機は水平鎖栓式で自動式開閉装置を採用している。 駐退復坐機は水圧駐退バネ復坐式。照準眼鏡の倍率は4倍(
「1式47粍速射砲」(原文そのまま)は、1種:射距離300m/貫通威力84mm、1種:射距離400m/貫通威力81mm、1種:射距離500m/貫通威力78mm、2種:射距離300m/貫通威力57mm、2種:射距離400m/貫通威力54mm、2種:射距離500m/貫通威力51mm、となっている。 なお、100mにおいて55mm、1
砲口前(距離不明、至近距離と思われる)では50mmであった。 また1942年5月の資料によれば、九四式三十七粍砲は、試製徹甲弾である弾丸鋼第一種丙製蛋形徹甲弾(一式徹甲弾に相当)を使用した場合、以下の装甲板を貫通するとしている。 200mで49mm(第一種防弾鋼板)/28mm(第二種防弾鋼板)
上申された。なお本砲の機能試験及び射表編纂試験ではこれらの砲弾がまだ制式化されていなかったために狙撃砲破甲榴弾や十一年式平射歩兵砲十二年式榴弾、十二年式代用弾を用いていた。これらの信管や炸薬は部分品であり、薬莢は狙撃砲破甲榴弾のものを用いた。仮制式上申書
架と砲尾装脱式砲身をそれぞれ試製した。高射用砲架は抗堪性充分と判定されたが、一〇〇式三十七粍戦車砲砲身を流用した砲尾装脱式砲身は、操用上の見地から機能不十分と判定された。 大阪造兵廠第一製造所の1942年(昭和17年)10月末の火砲製造完成数によれば、この時点での本砲の累積製造数は691門であった
本砲及び弾薬車4門に対する装備品の運搬のために開発されたものが九四式三十七粍砲予備品車である。本車の車体は基本的に弾薬車と同一であり、界板を有さず轅棹托架及び車輪托架を装着したに過ぎない。積載品は属品箱、予備品箱、油脂箱等である。これらはいずれも負帯を付けて弾薬箱と同様に背負うことが可能であった。本車の重量
試製五十七粍戦車砲(しせい57みりせんしゃほう)は、1941年(昭和16年)より大日本帝国陸軍が研究・開発した戦車砲。 1939年(昭和14年)より開発中であった一式四十七粍戦車砲を上回る威力を持った駆逐戦車用の57mm級戦車砲として1941年(昭和16年)3月より試製五十七粍戦車砲(甲)及び(乙)の研究が開始された。
三式砲戦車 ホニIII(さんしきほうせんしゃ ホニIII)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の砲戦車(対戦車自走砲)。 ホニIII(ホニIII車) は、試製一式七糎半自走砲(ホニI車)に対して出された砲戦車化改良案から1943年(昭和18年)より「七糎半砲戦車(甲)」(同時期に開発されていた試製新砲戦車(甲)