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〔「こん」とも〕
方角を十二支にあてていうときの丑と寅との中間の方角。 北東の方角。 鬼門(キモン)にあたる。
上にある会意文字である。その解釈として『説文解字』は「很」(音はコン、もとるの意)であり、目で睨んで互いに譲らないとする。 その他、「狠」(音はコン、凶悪の意)の本字で、振り返った人が目を怒らせて見る様子に象るとしたり、呪眼を象るとした説がある。 偏旁の意符としては眼に関することを示すと思われるが、
王艮の学問は、格物説に独創性を持ったもので、それは自我を至上として「独善」からの脱却を説くものであった。この場合の「独善」とは、治国平天下(国を治め天下を平らかにすること)の理想を顧みることなく、自己の修養のみにつとめる態度とされる。これに関連して、万物一体の思想も説いた。
1405年(永楽3年)、明により孟艮禦夷府が置かれた。孟艮禦夷府は雲南省に属し、刀氏が土司として知府を世襲した。正統年間にその地の多くは木邦に併呑された。 1659年、南明の永暦帝がミャンマーに逃れると、李定国が孟艮に拠った。清代には孟艮はミャンマーのタウングー王朝やコンバウン王朝に属した。
遠くから見ると尖った長い竹竿(간짓대)の様に見えるため艮絶串という名が付いた。また、“간(艮)”が「竿(간)」で、「절(絶)」が“길다(長い)”の方言である“질”の借音であるとも解釈できる。 別名カンジルクッ( 간질끝)、カンジョラプ(간절압(竿切―))、または日本式に「岬」の字を使い艮絶岬(カンジョルガプ、간절갑)とも呼んだ。
儒学を修める者。 儒者。
(1)儒教の道。