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19日、呂50は呉を出港し、ルソン島東方沖に進出し哨戒。22日、味方水上機の誤爆を受ける。水上機は爆雷2発を投下するも、深度40mの位置まで潜航して回避した。25日、ラモン湾北東150浬地点付近で浮上航走中、13号電探が帰投する米艦載機を捕捉したため、追跡。5時間後、潜航中に推進器音を聴取。その後、
呂号第四十潜水艦(ろごうだいよんじゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂三十五型潜水艦(中型)の6番艦。 1941年(昭和16年)の昭和16年度計画(マル臨計画)により、1942年8月8日、三菱重工業神戸造船所で起工。1943年(昭和18年)3月6日進水。1943年9月28日に竣工し、二等潜水
12月1日 渡部徳四郎 少佐:1922年12月1日 - 1923年12月1日 荻野仲一郎 少佐:1923年12月1日 - 1925年12月1日 春日末章 少佐:1925年12月1日 - 1927年7月29日 小田為清 大尉:1927年8月20日 - 1929年3月15日 山本岩多 大尉:1929年3月15日
潜望鏡深度に潜航。呂44が91mほどの距離で攻撃準備を行っているのを確認する。そのため、42mの深度に潜航するも、魚雷の航走音がしなかったため潜望鏡深度に戻ったところ、呂44の潜望鏡を確認した。そのため再度退避したが、反撃の様子は見られなかったため潜望鏡深度
(心得)樋口修一郎 大尉:1921年7月1日 - 1922年1月10日 (心得)高塚省吾 大尉:1922年1月10日 - 1922年5月5日 (心得)高塚省吾 大尉:1922年5月5日 - 1923年12月1日 (心得)三輪茂義 大尉:不詳 - 1922年12月1日 (心得)森野草六郎 大尉:1923年12月1日
呂号第五十九潜水艦(ろごうだいごじゅうくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂五十七型潜水艦(L3型)の3番艦。竣工時の艦名は第五十七潜水艦。 1921年(大正10年)5月18日、三菱神戸造船所で起工。1922年(大正11年)6月28日進水。1923年(大正12年)3月20日竣工。竣工時の艦名は第五十七潜水艦、二等潜水艦に類別。
1929年9月20日 大竹寿雄 大尉:1929年9月20日 - 1929年11月30日 長井武夫 大尉:1929年11月30日 - 1931年4月1日 堤道三 大尉:1931年4月1日 - 12月1日 杉浦矩郎 少佐:1931年12月1日 - 1932年8月20日 浜野元一 少佐:1932年8月20日 -
Ref.C12070387400 「官房第一六五五號 當分ノ間除籍艦船ヲ左ノ通假稱シ部內限之ヲ使用ス 昭和十五年四月一日 海軍大臣 假稱名 舊稱名 …廢潛第十一號 舊呂號第五十三潛水艦…」 ^ 『日本海軍の潜水艦』28頁。 ^ 『官報』第2493号、大正9年11月22日。 ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。