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第8艦隊第7潜水戦隊に編入。 3月31日 - 佐世保を出航。 4月12日 - ラバウル着 4月22日 - ラバウルを出航。ガダルカナル島東方で活動。 5月31日 - ラバウルを出航。ガダルカナル島東方で活動。 6月30日 - ラバウルを出航。レンドバ島方面で活動。 7月18日 - 南緯09度03分
- 佐世保を出航。24日、ペナン着。 12月3日 - ペナンを出航。インド洋で活動。 12月14日 - 軍需品を積んでボンベイからコロンボへ航行中の英貨物船デーズイ・モラー(Daisy Moller、4,087トン)を雷撃により撃沈。 1944年(昭和19年)2月2日 - ペナンを出航。ベンガル湾方面で活動。
呂号第六十潜水艦(ろごうだいろくじゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂六十型潜水艦(L4型)の1番艦。竣工時の艦名は第五十九潜水艦。 1921年(大正10年)12月5日 - 三菱神戸造船所で起工。 1922年(大正11年)12月20日 - 進水 1923年(大正12年)9月17日 - 竣工。第五十九潜水艦と命名。
呂号第十六潜水艦(ろごうだいじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂十六型潜水艦(海中3型)の1番艦。竣工時の艦名は第三十七潜水艦。 1920年(大正9年)11月18日、呉海軍工廠で起工。1921年(大正10年)4月21日進水。1922年(大正11年)4月29日竣工。竣工時の艦名は第三十七潜
1928年12月10日 奥島章三郎 少佐:1928年12月10日 - 1930年4月22日 久米幾次 大尉:1930年4月22日 - 1931年4月1日 (兼)堤道三 大尉:1931年4月1日 - 1931年5月1日 鳥居威美 大尉:1931年5月1日 - 1931年11月2日 溝畠定一 少佐:1931年11月2日
クに到着。1943年(昭和18年)1月6日、トラックを出港したが機関故障により引き返した。修理の後2月3日にトラックを出港。6日、ラバウル北西沖で浮上航走中、零式水上偵察機から誤爆されるも、ダメージは軽微で済んだ。7日にラバウルに到着。8日にラバウルを出港し、ポートモレスビー沖で哨戒を行う。14日1
呂号第百十三潜水艦(ろごうだいひゃくじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂百型潜水艦(小型)の14番艦。 1942年(昭和17年)の昭和17年度計画(マル急計画)により、1942年7月11日、川崎重工業泉州造船所で起工。1943年(昭和18年)4月24日進水。1943年10月12日、川崎重
10月31日、第六艦隊第8潜水戦隊第30潜水隊、南西方面部隊潜水部隊に編入。 同日、呂111は呉を出港。11月16日にシンガポールに寄港した後、23日にペナンに到着。12月6日、ペナンを出港し、ベンガル湾に進出。。23日、北緯11度11分 東経80度11分 / 北緯11.183度 東経80