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工業、日産化学工業、東洋曹達工業、日新電化、鉄興社、保土谷化学工業、呉羽化学工業、一之江化学工業、大阪曹達、中外貿易、関東電化工業、第一物産、国策パルプ工業、昭和電工、北日本製紙、興国人絹パルプ、三菱化成工業、日栄、信越化学工業、旭電化工業、日新興業、旭
- コタキ2552)とされた。 記号番号表記は特殊標記符号「コ」(全長 12 m 以下)を前置し「コタキ」と標記する。 本形式の他に「濃硫酸」又は「濃硫酸及び発煙硫酸」を専用種別とする貨車は、タム400形(418両)、タキ300形(483両)、タキ4000形(353両)、タキ5750形(500両)等実に21形式が存在した。
の冷凍船にかなり転化していた。 この状況に対応するために鉄道省は、当時冷蔵目的で次第に普及しつつあったドライアイスを利用して冷却することを計画し、1929年(昭和4年)から1930年(昭和5年)にかけて冷凍魚と枝肉の輸送試験を行った。この試験でドライアイス冷却の
気式は保守が容易であるが重くコストが高く、直結式はその逆の特徴を持っていた。低温輸送のために特に断熱性に配慮されており、熱貫入率という値で測定した断熱度は国鉄歴代の冷蔵車でもっとも優れていた。 試験では概ね所期の性能が得られた。ただし、在日米軍用にアメリカ製冷凍機を取り付けたレ9000形、レサ700
1955年(昭和30年)から1957年(昭和32年)に掛けて更新修繕が実施された。この時に二段リンクに改造されると共に、断熱材がアルセルボードに交換された。 各年度による改造所と改造数の関係は以下のとおりである。 昭和30年度 - 130両 五稜郭工場 15両 大宮工場 40両 高砂工場
年)5月28日通報により大きさを表す「オ」が廃止され「レテ」と改正された。 断熱材は様々なものが用いられたが、戦後間もなくの時期の粗悪な代用断熱材とは異なり、それなりに考慮の払われた新型の断熱材であった。岩綿、アルセルボード、コルクなどが使われている。内部はステンレス製になり、また外板は国鉄新製冷蔵
620mm、荷重12tで、断熱材は戦後の資材難の時期にあたったため粗悪な代用断熱材が使用され、車両によって違っている。使用されたものはフェルトと日本紙の組み合わせ、杉皮の繊維を固めたもの、国産のコルクなど雑多なもので、この頃から車体の隅に断熱材の種類が表記されるようになった。
めに断熱材の追加が行われた車両では、本来の軸重制限を超過した車両もあったという。 1950年(昭和25年)から更新修繕が開始され、断熱材がコルクから岩綿とアルセルボードに変更されている。一方、この頃から多くの貨車に対して二段リンク式への改造が進められたのに対して、本形式では対象とならなかった。このた