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許されないまま、1981年(昭和56年)までの7年間完全なこう着状態が続いた。なお、同時期に着手された江の川本流の土師ダムは実施計画調査から補償交渉、本体工事、そして完成といった全ての段階を灰塚ダムの予備調査期間内に済ませている。 こう着状態が約7年続き、地元広島県も事業の停滞を懸念して仲介に乗り出
諸塚ダム(もろつかダム)は、宮崎県東臼杵郡諸塚村、二級河川・耳川水系柳原川に建設されたダムである。 九州電力が管理を行う発電用ダムで、高さ59.0メートルの中空重力式コンクリートダムであり、九州地方では唯一の中空重力ダムである。九州では初めてとなる揚水発電を行う水力発電所・諸塚
0m、当初は洪水調節・水力発電を目的としていた。 松原ダムの下流には、九州電力の 大山川堰(おおやまかわせき)が設けられている。大山川堰は重力式コンクリート堰で、松原発電所からの放流水を、柳又発電所と女子畑発電所とに分配する役目を果たしている。この堰は一般には大山川ダムと呼ばれることもある。
玉原ダム(たんばらダム)は、群馬県沼田市上発知町玉原地先、利根川水系発知川に建設されたダムである。ダム管理者は、東京電力リニューアブルパワー。 高さは116.0m、型式は中央土質遮水壁型ロックフィルダムである。発電専用ダムで東京電力株式会社が1973年(昭和48年)より建設に着手した。オイルショックの最中であり、「火主水従」から
湯原ダム(ゆばらダム)は、岡山県真庭市に存在する一級河川・旭川本川上流部に建設されたダムである。 中国電力と岡山県の共同事業で建設された重力式コンクリートダムであり、洪水調節および発電を目的とする多目的ダムである。旭川総合開発事業と電力供給事業の一環として1949年(昭和24年)に立案され、195
も劣らぬものであったという。水没地には老神温泉の旅館5軒も含まれており、こうしたことも反対運動を激しくさせた。建設省は水没する源泉補償として10か所の試掘を行うなど温泉に対する補償も並行して行われた。結果補償交渉は難航しながらも妥結し本体工事に着手、1965年(昭和40年)に完成した。
「首都圏の治水・利水の為に自分達が犠牲になる事が納得出来ない」として建設省との対決姿勢を鮮明にした。 建設省との補償交渉は全くの平行線をたどるどころか日を経る毎に険悪さを増し、一時は膠着化の恐れもあった。最終的には地元・群馬県知事の斡旋もあって1957年(昭和32年)3月には補償交渉も概ね妥結した
ピーク時の電力供給確保が重要ならば、将来性のある原子力発電などの選択肢があるのではないか。 こう述べて、池原ダムは現地点の建設を容認するが、七色と奥瀞のダム地点を環境に影響が及ばない地点に移動させない限り建設は認めないと勧告した。この勧告に従うと最大出力や年間発生電力量が大幅に減少し、結果として