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酒人内親王で、両親は異母兄妹になる。伊勢斎王。後に退下し、異母兄の平城天皇の妃となる。母系3代(井上内親王、酒人内親王、朝原内親王)の伊勢斎王。 天応2年(782年)8月1日、4歳で斎王に卜定、延暦4年(785年)4月23日に造斎宮長官が、7月21日に斎宮寮頭・賀茂人
菅原内親王(すがわらないしんのう)は、平安時代初期の皇族。桓武天皇の第16皇女。母は女御・橘御井子で、同母姉妹に賀楽内親王がいる。天長2年(825年)に無品のまま薨去した(『日本後紀』天長2年閏7月6日条)。享年不明。 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年
(ひめみこ)姫宮(ひめみや)などがある。 また古来から、第一皇女を女一宮(おんないちみや)、その順に女二宮、女三宮と称す。 明治時代に入り、皇室典範成案が起草されるにあたり、その第35条にて従来の皇女に留まらず、親王妃にも内親王、王妃を女王と規定する条文の策定が検討された。しかし、有栖川宮熾仁親王が
母は女御・橘常子(兵部大輔・橘島田麻呂の娘)。平城天皇の妃。品位は三品。 延暦20年(801年)11月9日、異母姉妹の高津内親王と高志内親王と共に加笄の儀(女子の成人式)を行った。この後、異母兄弟である皇太子・安殿親王と結婚した。 大同元年(806年)安殿親王が即位(平城天皇)したことから妃となる。
幼少から俊秀として知られていた。史伝を精読しており、歴史上の成功あるいは失敗例をもって自らの戒めとしたという。恭しく慎み深い性格で、傲り高ぶるようなことがなかった。 『六国史』による。 延暦17年(798年) 4月17日:加冠 延暦22年(803年) 正月:四品。4月:治部卿 延暦25年(806年)
〔「しんおう」の連声〕
(1)天皇の子供を敬っていう語。 皇子・皇女。
(1153頃-1201) 鎌倉期の女流歌人。 後白河天皇の第三皇女。 1159年から69年まで賀茂斎院をつとめ, 晩年に出家する。 歌は俊成に師事し, 「古来風体抄」を献ぜられる。 千載集以下の勅撰集に一五五首入集。 家集「式子内親王集」