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600形まで採用していた、ウェスティングハウス・エアブレーキ社設計のU-5自在弁を使用する三菱造船所製AMU自動空気ブレーキは、性能は優れているものの、保守面で問題があった為、本形式からは、U-5自在弁をA動作弁に変更したAMAR方式を採用する事となった。その結果、600形以前の車両とは連結出来なくなった。
受取り付け位置が外側に移されてトラニオン・タイロッド(現在のボルスタアンカーの祖)が省略されるなど、相違点が多々あった。 ^ こちらも戦災で4両が廃車となっていた。 ^ 旧901形が901 - 941、旧858形が942 - 961と付番された。 ^ 新造時は水道管等の埋設管の電食対策として帰還線
を変更したのは、同じく試作車として登場した、3000形同様、乗客やポイント操作員の視認性を考慮してテストしたものと思われる。この他にも2501号で直流蛍光灯が(他の3両は管球)、2504号ではスチールサッシがそれぞれ採用されるなど、試作車として今後の更新に関連するもののテストベッドとなった。このため
たが、その反面、開口部の多い大型3扉車でありながらトラスロッドを装備しておらず剛性が不足するなど構造設計面での未熟が目立ち、就役開始後しばらくたつと車体の緩みや台枠の垂下が発生して、トラスロッドの追設をはじめ、車体の補強に追われることとなった。 車体は大型化しているが、601形に搭載された
ト(運転台右側に前向き一方のクロスシートを配置)を採用した。セミクロスシートを採用したのは、弾性車輪を採用したために定員を減らすことによって車輪への負荷を軽減するためである。 台車・電装品は、台車は弾性車輪つきのウィングばね台車である住友金属工業FS-251を装着し、制御装置は三菱電機AB-54-
事から、床板は台車部分を中心に高くなっていた。 なお、81形の残り2両は1943年に鋼体化改造されたが、台車が低床式のブリル77Eを使用しており、車体様式も201形とは異なる事から211形211~212となった。 阪堺電鉄が1944年3月末に大阪市電気局に買収された後、201~205は同年9月2日付
2101形の見かけは2001形と大差なかったが、蛍光灯の採用やウイングばね台車の装備など、当時採用できる新機軸を積極的に導入することで、3000形をはじめ、後に登場する2201形や3001形につながる新機軸導入の素地を築いた。その意味では、戦後の復興から和製PCCカーに代表される戦後路面電車の全盛期への過
形のほうが客扱い上都合がよかったようである。また、1711形は他形式に比べると歯車比が低く、高速性能が高かったことから、運転手には喜ばれていた。もっとも、1711形のばねは満員時にちょうどいいように設定されていたことから、閑散時に交差点を通過すると頭に響くほどの衝撃があったそうである。