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初春型駆逐艦(はつはるがたくちくかん)は大日本帝国海軍(以下「海軍」)の一等駆逐艦 の艦級である。吹雪型(特型)駆逐艦の次の艦隊型駆逐艦として計画されたが、小排水量に過大な武装を盛り込んだ本型は復元性能や船体強度に問題を生じ、建造は6隻で中止された。 なお、建造途中で設計変更を行って竣工した有明と夕
初春(はつはる)は、日本海軍の初春型駆逐艦1番艦である。日本海軍の艦船名としては1907年(明治40年)竣工の神風型駆逐艦「初春」に続いて2隻目。日本の駆逐艦として初めて魚雷の次発装填装置を搭載した。1944年(昭和19年)11月、マニラ湾で米軍機の空襲を受け沈没した。
#S1911第17駆日誌(9)pp.37-38『旭部隊本部191310→初霜雪風冬月凉月/20日ノ儀礼ヲ左ノ通リ定ム|一.1330メクカメ(駆逐艦長)以上初霜ニ参集伺候訓示|二.1330司令官退艦将旗ヲ撤去ス(使用短艇防備隊内火艇)|三.服装第三種軍装短剣、畧授|四.初霜ハ司令官退艦時総員見送ノ位置ニ就ク』-『20133
ニア方面で攻勢に出た。外南洋部隊はニューギニア方面への駆逐艦輸送を開始したが損傷艦が続出し、連合艦隊は外南洋部隊に派遣する駆逐艦の数をふやす。11月30日、有明と夕暮はラバウルに進出した。外南洋部隊は夕暮と第4駆逐隊を増援部隊に、有明を支援隊に編入し、各艦は12月3日までにショートランド泊地に進出した。
〕 ^ #S1805四水戦日誌(3) p.77(4Sd機密第二〇〇七五一番電)〔 十九日附貴部隊ニ編入ノ有明ハ二號重油噴燃ポンプ破損使用不能最大發揮速力二十八節 尚同「ポンプ」換装ノ爲佐廠保管中ノモノ最近便ニテ「トラック」ニ送付ノ上明石ニテ装備工事施行ノコトニ手配済 〕 ^ 戦史叢書62 1973
若葉(わかば)は、日本海軍の初春型駆逐艦3番艦である。1934年(昭和9年)10月に竣工した。日本海軍の艦船名としては1906年(明治39年)竣工の神風型駆逐艦 (初代)若葉に続いて2隻目。1944年(昭和19年)10月、レイテ沖海戦時に空襲を受け沈没した。 1931年(昭和6年)12月12日、佐世
建造は川崎造船所が担当した。2番艦スアカムロンシンは主機がレシプロから防護巡洋艦平戸用に製造中のカーチス式タービンに変更されており、別級とすることもある。両艦とも1930年代後半まで使用された。 [脚注の使い方] ^ a b c d e f 中川 1992. ^ 石橋 1992. ^ a b 阿部
後に横須賀海軍工廠の技術者や職工らを乗せた救難船「栗橋丸」が横須賀から派遣された。 全ての備砲(3インチ砲2門と6ポンド砲4門)、 魚雷発射管1門(もう1門は引揚出来ず)、探照灯1基、 秘密図書等を引き上げた が、船体は引き上げられなかった。 同年12月28日除籍。 翌1912年(明治45年)1月12日売却処分の訓令が出され、