Ngôn ngữ
Không có dữ liệu
Thông báo
Không có thông báo mới
2棟とも台地縁部の斜面に建築されていた。後期前葉の1棟(1号建物)は斜面を段上に造成した平坦面に建てられており、ほぼ完全な状態で発掘された。床の一部を窪めた地床炉が2つ設けられていた。 貯蔵穴と見られる土坑 縄文土器(21,000点) 土錘 土版 土偶 石鏃 石匙 石錘 磨製石斧 打製石斧 凹石 磨石
鋤・鎌など多くの遺物が発掘されている。豊富な発掘品は当時の集落の繁栄ぶりをうかがわせる。特に弥生時代のものとされる柴宮銅鐸や、平安時代初期のものとされる緑釉水瓶は長野県宝に指定されている。 縄文時代中期(約5000年前)の茅葺き屋根の7棟の建物を復元してある。信仰の対象となった立石をすえた広場を設けてある。
一方、土器以外の土製品や生産具以外の石製品をみると、土冠(冠形土製品)は東部包含層のほうが2点多いが、半輪状土製品や石刀・石棒類は、逆に約6:4の割合で西部包含層が東部包含層をやや上回る。 土偶や土玉類は東西ほぼ拮抗した出土数であり、生産具以外の製品はそれほど偏った出土状態とはなっていない。 装身具・食器 狩猟具 交易品
で生じた排土はグリッドごとに土嚢袋に収納し、後で見逃された遺物を回収する。掘り進むと旧地表面の乾裂面が見つかった。その面上で炭粒や木葉形の炭化物見つかる。炭粒は人が火を焚いたことと関係するかも知れない。乾裂面はⅥa層中、Ⅵa層とⅥb層の境界面、Ⅵb層中でも見つかっている。Ⅵa層中から直径5ミリメート
点、スクレイパー7点、彫器1点、使用痕剥片1点、石核17点、剥片243点、石核再生剥片2点、ハンマー1点。黒曜石製のものがもっとも多く、次いで砂岩、珪質粘板岩なども利用している。礫群13基を伴う。 Ⅳ中2層:石器705点が9カ所の集中部から出土した。内訳はナイフ形石器44点、台形様石器11点、角錐状
と少数の2-3メートル程度のもの数棟で集落を形成していたと見られている。 仲原式土器(深鉢尖底型、壺型) 石斧、磨石など 人骨、魚骨、獣骨 貝製品(イモガイ小玉) 1978年 - 沖縄大学沖縄学生文化協会により発見された。 1986年 - 国の史跡に指定される。
「いせき(遺跡)」に同じ。
(1)過去の人間の営為の跡が残されている場所。 遺構・遺物のある場所。 考古学では住居址・墳墓・貝塚・城郭など, 土地に固定して動かすことができないものをさす。