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(1)(1592-1673) 江戸前期の禅僧。 黄檗宗(オウバクシユウ)の開祖。 明の人。 諱(イミナ)は隆琦。 諡(オクリナ)は大光普照国師。 1654年来日, 60年に将軍家綱から宇治に土地を与えられ, 黄檗山万福寺を創建。 唐様の書風を伝えた。 著「普照国師広録」など。
〔「つきこもり」とも。 月が隠れる意から〕
〔「月ごもり」の転。 月が隠れて見えなくなる頃の意〕
「つごもり(晦)」の転。
演・惟一・無上・南源・独吼らがおり、月洲筆『普照国師来朝之図』にこのときの模様が描かれている。 隠元が入った興福寺には、明禅の新風と隠元の高徳を慕う具眼の僧や学者たちが雲集し、僧俗数千とも謂われる活況を呈した。 明暦元年(1655年)、崇福寺に移る。同年、妙心寺元住持の龍渓性潜の懇請により、摂津嶋上
みそかとついたち。 また, 一か月。
くらいこと。 くらやみになること。 まっくらやみ。
言葉や文章がむずかしくて, 意味や論旨がわかりにくい・こと(さま)。 難解。