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大理(だいり) 大理ペー族自治州 - 中国雲南省の自治州。 大理市 - 雲南省大理ペー族自治州の県級市。 大理国 - 雲南地方を主たる領域として統治していた国家。大理石の名前の由来。 大理 - 中国の古代の官名。前漢時代に廷尉から何度か改称された。 大理 - 古代日本における律令制下の八省の一つ刑部省の唐名のひとつ。
〔なめらかな石の意〕
方解石を主成分とする結晶質岩石。 石灰岩が変成作用を受けたもので, 白地に美しい斑紋がある。 また, 美麗な石灰岩の建築用石材をもいう。 建築材・彫刻材などに用いられる。 マーブル。
大理は雲南省中西部、洱海の西岸、蒼山連峰(中国語版)東麓の間の平野に位置するペー族(白族)の町。雲南とチベット・ミャンマーを結ぶ交通(茶馬古道)の要衝であり、この地域の経済の中心地でもある。町は城壁に囲まれ南北にそれぞれ城門がある。蒼山一帯はユネスコ世界ジオパークに指定されている。また、
271年(至元8年)、元により羊苴咩城に大理路が置かれた。大理路は雲南等処行中書省に属し、録事司と太和県と永昌府に属する永平県と騰越府と鄧川州に属する浪穹県と蒙化州・趙州・雲南州、合わせて1司1府4州3県を管轄した。 1382年(洪武15年)、明により大理路は大理府と改められた。大理府は雲南省に属し
が南詔(およびその後継国家の大長和・大天興・大義寧)にかわって樹立した国家。現在の雲南地方を主たる領域として統治していた。集権的ではなく、君主権はそれ程強くなかったと考えられている。 1094年、高昇泰は段氏の皇帝を廃し、国号を大中、元号を上治と改め、自ら皇帝として即位した。しかし、1096年、臨
年 - 年代不詳。 プロジェクト 紀年法 『滇載記』にはこの元号の記載がない。また李兆洛の『紀元編』では広運の後としている。 『南詔野史』『滇雲歴年伝」及び胡氏の『野史』の記載は日新と永嘉の間に設けている。 ^ 「正嚴以宋徽宗大觀二年立,四十年
年代不詳 - 1044年。 ^ 『南詔野史』素興偽諡天明皇帝「素興,宋仁宗辛巳慶暦元年卽位,明年改元聖明,又改元天明。(略)仁宗甲申慶暦四年,素興在位,荒淫日甚,國人廢之,而立太祖曾孫智思之子思廉。素興在位三年。」s:zh:南詔野史 李崇智『中国歴代年号考』(中華書局 2004年) プロジェクト 紀年法