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古賀 謹一郎(こが きんいちろう、文化13年11月11日(1816年12月29日) - 明治17年(1884年)10月31日)は、日本の江戸時代末期(幕末)から明治にかけての儒学者・官僚。本姓は劉。諱は増(まさる)。官途は筑後守。字は如川。号は謹堂、茶渓(さけい)など、また沙蟲老人とも称した。筆名:憂天生(ゆうてんせい)。
〔「慎(ツツ)む」と同源〕
(1)言動を反省し, おこないをつつしむ・こと(さま)。
〔「つつしんで言う」の意〕
(1)つつしんで聞くこと。 また, 聞くことをへりくだっていう語。 拝聴。
軽はずみなところがなく, まじめでおごそかな・こと(さま)。
つつしんで製造すること。 食品の製造者などが用いる語。
つつしんでお知らせする意で, 公示や広告の文章の冒頭に用いる語。