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^ a b c #終戦と帝国艦艇73頁 ^ #重巡洋艦戦記(2010)267頁 ^ #高雄始末記138-139頁 ^ #重巡洋艦戦記(2010)268頁 ^ 『官報』第1541号、昭和7年2月22日。 海軍歷史保存會『日本海軍史』第7卷、第9卷、第10卷、第一法規出版、1995年。 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集
附方改正上申画像3、明治22年6月7日高雄普第44号 ^ #M22公文雑輯6/6月20日高雄水雷発射管取附方改正上申画像1-2、明治22年6月20日官房第1060号 ^ #M22公文雑輯6/5月15日高雄機砲位置変更並増置画像1-2、明治22年5月115日官房第612号。同画像4-6「電気燈御備附相成度件」
羽黒 [脚注の使い方] ^ 妙高の公試成績では竣工時35.6ノット、二次改装後の公試で33.8ノットを記録。 ^ 実測では13.9ノット/7,000浬(那智)であり、後に航続力の短さが問題となった。 ^ 昭和2年4月16日 海軍内令 第132号制定、海軍定員令「第40表 一等巡洋艦定員表
上型重巡洋艦はこれに従い155mm三連装主砲塔を持つ姿で竣工し、条約失効後に203mm連装砲に換装した。利根型重巡洋艦は建造途中に条約失効したため竣工時点で203mm連装砲を装備した。どちらにおいても日本は203mm連装砲への換装を他国に通告しておらず、公式の分類上
1923年(大正12年)12月10日、横須賀で建造予定の一万トン級巡洋艦に妙高、呉工廠建造予定の同型艦に那智の艦名が正式に与えられる。妙高、那智の2隻は同日附で艦艇類別等級表に登録された。 妙高は1924年(大正13年)10月25日に横須賀海軍工廠で起工。192
最上型重巡洋艦(もがみがたじゅうじゅんようかん)は大日本帝国海軍の重巡洋艦。同型艦は4隻。軍縮条約の都合上15.5cm砲搭載の軽巡洋艦として完成し、条約失効後に20.3cm砲塔に換装して重巡洋艦となったことで知られる。「最上」はさらに航空巡洋艦に改装されている。一般には重巡洋艦として取り扱われるが、
砲架をピラミッド状に2番砲のみ高くして中心線上に3基を配置した。 そして艦橋構造は初めて塔型艦橋を採用した。 船体中央部には集合煙突型の2本煙突が立ち、これにより艦橋から煙突の距離が開いたために排煙による煤煙問題に良好な結果をもたらした。 艦内舷側部には固定式で61cm連装魚雷発射管が片舷3基6門ずつ計12門が指向できた。
青葉型重巡洋艦(あおばがたじゅうじゅんようかん)は大日本帝国海軍の重巡洋艦。同型艦は2隻。 先に日本海軍において建造された古鷹型重巡洋艦は、20cm単装砲6基を有し他国の巡洋艦を圧倒したが、主砲弾の装填を半人力式としたために装填速度が遅いという欠点を抱えていた。 ワシントン海軍軍縮条約において、「補助艦艇は排水量1万トン、主砲最大20