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11号機のみ1954年に重油燃焼装置と消煙装置の試験を行った。重油槽は容量1.0m3のものを蒸気ダメと砂箱の間に設置し、火室に空気ノズル式重油燃焼装置と空気ノズル式空気送入装置を装備したが、練炭の使用のほうがむしろ成績がよかったため本採用にはならず、11号機の装置も後に撤去された。 全長 15438mm
7号は、草津軽便鉄道(後の草津電気鉄道→草軽電気鉄道)が1920年(大正9年)に導入した、タンク式蒸気機関車である。 1920年9月に雨宮製作所で製造された、車軸配置0-6-0(C)、運転整備重量15トン、2気筒単式の飽和式サイド・ウェルタンク機関車(製造番号不明)である。雨宮製の標準的な形態で、
南隅軽便鉄道3形蒸気機関車(なんぐうけいべんてつどう3がたじょうききかんしゃ)は、南隅軽便鉄道(後に大隅鉄道)が使用した蒸気機関車である。後に大隅鉄道の国有化に伴いケ270形となった。 台湾の帝国製糖向けなどに納入実績のあった、川崎造船所としては最初期にあたる、イギリス流の外側台枠を備える飽和式1
南隅軽便鉄道1形蒸気機関車(なんぐうけいべんてつどう1がたじょうききかんしゃ)は、南隅軽便鉄道(後に大隅鉄道)が開業に当たって導入した蒸気機関車である。後に大隅鉄道の国有化に伴いケ145形(2代)となった。 深川造船所が製作した車軸配置0-4-0(B)形単式2気筒、飽和式タンク機関車で、2両を導入し
0-6-0(6)の2気筒単式飽和式タンク機関車である。固定軸距は1,600(800+800)mmで運転整備重量は13トン、出力は90PSである。火の粉止めの金網を内蔵した、ラッパ型の煙突が特徴的であった。計3両が製造されたが、発注は1両ずつである。 最初に導入されたのは、1921年6月製の製造番号
残る2については、1925年(大正14年)10月に愛媛鉄道に売却されて、同社の5となっている。こちらも1933年10月1日付けで国有化されているが、どういう訳か両備鉄道1とは異なるケ140形(ケ140)とされている。両機は本来全く同形の機関車であり、国有化に際しても同形式とされるべきであった。廃車は、愛媛線改軌後の1936年である。
10784)、西鮮殖産鉄道→朝鮮鉄道(1923年製10604, 10605, 10631 - 10634)の10両があるが、こちらは火格子面積が大きく、低質炭用であったらしい。軌間1,067mmの機関車では、新潟臨港 1 - 3(後の鉄道省1275形)、阿波電気軌道 8(後の鉄道省ア8形)が同クラスである。
たのは一回り小型な9t級B型機である本形式となっている。 運転整備重量9.14t、軸距1,400mm、出力50PSの車軸配置0-4-0(B)型飽和式単式2気筒サイド・ウェルタンク機で、同時期出荷の岩手軽便鉄道11と基本設計を同じくする。いずれも当時日本に大量に輸入されていたコッペル社製762mm軌間