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1970年(昭和45年)1月16日:2両連結運転終了 1975年(昭和50年) 3月30日:全車ワンマンカー化実施 4月15日:一部区間における諸車の併用軌道乗入禁止を実施 1977年(昭和52年)10月1日:九条車庫廃止 1978年(昭和53年) 9月30日:「さようなら 京都市電」電車を運行。旅客営業終了
二条城廃止。これ以後、旧京都電気鉄道狭軌線付替え及び軌隔拡張(狭軌から標準軌化への改軌)が進む。 1920年(大正9年) 5月31日 木屋町線 塩小路 - 七条高倉廃止。 7月7日 京都市電気軌道事務所を京都市電気局に改組。 1921年(大正10年) 6月26日 伏見線 七条駅前 - 中書島、稲荷線 勧進橋 - 稲荷軌隔拡張。 1923年(大正12年)
京都市交通局300形無軌条電車(きょうとしこうつうきょく300がたむきじょうでんしゃ)は、かつて京都府京都市に存在したトロリーバス(無軌条電車)路線である京都市営トロリーバスで使用されていた車両。最後の増備車として1958年から導入が実施された。 1932年に開通した日本初の都市圏トロリーバスであった京都市営トロリーバスは、長らく全長1
三線軌条(さんせんきじょう)とは、鉄道において軌間の異なる車両を運転するために、通常1対2本の軌条(レール)で敷設される線路について、片側のレールを共通として残り2本のレールをそれぞれの軌間に応じて敷設したもののこと。三線軌条は三線軌道、三線軌ともいう。 線路中心を合わせるために、軌条を共通とせず
蹴上線(けあげせん)は、京都市の東山仁王門と蹴上の間を結んでいた京都市電の軌道路線である。 京都電気鉄道によって、第4回内国勧業博覧会会場となった岡崎公園へのアクセスとして建設された。当初は木屋町二条から二条通を東進し、琵琶湖疏水に突き当たってからは疏水に沿って南下の後、仁王門通を南禅寺前まで東に進
終末期の路線は四条大宮から松尾橋まで市西部工業地域の西院地区と梅津地区を無軌条電車(トロリーバス)で貫いていた。車庫引込線として千本線の壬生車庫前 - 四条大宮間で複軌道を共用していた。1969年(昭和44年)に全線が廃止された。 京都市のトロリーバス事業全般については京都市営トロリーバスを参照。 1945年(昭和20年)
1912年(明治45年) 6月5日 姉小路変電所開設 6月11日 七條驛前(後に京都駅前と改称)-烏丸丸太町開業 1913年(大正2年)5月26日 烏丸丸太町-烏丸今出川開業(京電中立賣線との六線共用区間を含む) 1914年(大正3年) 8月 京都旧駅敷地(鉄道用地)軌道敷設出願を巡り京都市と京電が対立
三条変電所廃止 1972年(昭和47年)3月6日 七条変電所廃止 1975年(昭和50年) 3月30日 全車ワンマンカー化実施 4月15日 一部区間における諸車の併用軌道乗入禁止実施 1977年(昭和52年)10月1日 田中変電所廃止 1978年(昭和53年) 9月30日 「さようなら 京都市電」電車運行 10月1日