Ngôn ngữ
Không có dữ liệu
Thông báo
Không có thông báo mới
キハ10形気動車(キハ10がたきどうしゃ)は、かつて名古屋鉄道(名鉄)で使用された、LE-Carタイプの気動車(レールバス)である。 本項ではキハ10形の改良型であるキハ20形気動車、LE-DCタイプのキハ30形気動車についても記述する。また、上記3形式の他社譲渡後の動向についても扱う。
1968年(昭和43年) 5月16日 - 十勝沖地震で全線不通に 8月5日 - 国鉄東北本線の線路付け替えに伴い、廃止区間を借用し野辺地 - 千曳(名称を西千曳に変更)間を延長し、全線復旧・運行再開 1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物営業廃止 1997年(平成9年) 1月20日 - 株主総会で全線廃止を決議
南部縦貫株式会社(なんぶじゅうかん)は、青森県上北郡七戸町に本社を置き業務受託を主な事業内容とする日本の企業。 設立時の社名は南部縦貫鉄道株式会社(なんぶじゅうかんてつどう)で、1997年まで鉄道事業者として南部縦貫鉄道線を運行していたが、鉄道事業廃止後に現社名に商号変更した。1963年より鉄道
4・5 → キニ15 1・2 キハ17形を改造した荷物車で、多度津工場で1966年に4両、1967年に1両の計5両が改造された。後位側車端には便所と客用扉が残され、荷物室用の扉としては、幅2,000mmの両引戸が2か所に設けられており、荷重は11tである。 改造後は高松運転所に配置され、廃車まで異
どうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1986年(昭和61年)から製作した一般形気動車である。 四国向けの温暖地型(キハ54 1 - )と北海道向けの酷寒地型(キハ54 501 - )の2種が製作されており、各部の仕様・形態には相応の差異がある。 1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に先立ち、経営
シリンダヘッドの変形や亀裂の発生問題等を解決した後は安定し、DD51形ディーゼル機関車やDE10形ディーゼル機関車に大量採用されて戦後の国鉄近代化に大きく貢献している。 本形式では、DMF31Hは芝浦製作所製MD37発電機直結されており、ここで得られた電力を用いて、キハの連結面寄り
国鉄キハ07形気動車(こくてつキハ07がたきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1951年に再生改造した一般形気動車(ディーゼル動車)である。旧形式名はキハ42500形(2代目)で、1957年の称号改正でキハ07形に改称された。 キハ42500形(2代目)の前身であるキハ42000形
、運転台機器にもコストダウンのため流用品を多用している。側面の行先表示は行先標(サボ)によるもので、中央部窓下にサボ受けが設置されている。 前面はキハ54形とほぼ同じ様式で、中央に貫通扉を配した3枚窓である。貫通扉上に前照灯を設け、運転室窓上に種別・行先表示器を設置している。種別・行先表示器はバス用の手動式である。