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4・5 → キニ15 1・2 キハ17形を改造した荷物車で、多度津工場で1966年に4両、1967年に1両の計5両が改造された。後位側車端には便所と客用扉が残され、荷物室用の扉としては、幅2,000mmの両引戸が2か所に設けられており、荷重は11tである。 改造後は高松運転所に配置され、廃車まで異
どうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1986年(昭和61年)から製作した一般形気動車である。 四国向けの温暖地型(キハ54 1 - )と北海道向けの酷寒地型(キハ54 501 - )の2種が製作されており、各部の仕様・形態には相応の差異がある。 1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に先立ち、経営
シリンダヘッドの変形や亀裂の発生問題等を解決した後は安定し、DD51形ディーゼル機関車やDE10形ディーゼル機関車に大量採用されて戦後の国鉄近代化に大きく貢献している。 本形式では、DMF31Hは芝浦製作所製MD37発電機直結されており、ここで得られた電力を用いて、キハの連結面寄り
国鉄キハ07形気動車(こくてつキハ07がたきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1951年に再生改造した一般形気動車(ディーゼル動車)である。旧形式名はキハ42500形(2代目)で、1957年の称号改正でキハ07形に改称された。 キハ42500形(2代目)の前身であるキハ42000形
、運転台機器にもコストダウンのため流用品を多用している。側面の行先表示は行先標(サボ)によるもので、中央部窓下にサボ受けが設置されている。 前面はキハ54形とほぼ同じ様式で、中央に貫通扉を配した3枚窓である。貫通扉上に前照灯を設け、運転室窓上に種別・行先表示器を設置している。種別・行先表示器はバス用の手動式である。
エンジンは一般に摩耗対策が進んでおらず、シリンダ内部の摩耗が速かったため、シリンダ摩耗後にこれを削正(ボーリング加工)、新たなライナーを打ち込んでさらに再削正する再生措置が常識化しており、最初からその削りしろを考慮したつくりにされていたのが一因である。エンジン側面に装備されベルト駆動される空気圧縮
機(D211)、それにクラッチについては1933(昭和8)年度以降発注のキハ41000形と完全な互換性があり、検査時等には相互間で使い回しが可能な設計であった。 ただし、使途の相違から逆転機については設計変更が加えられ、逆転機内の大歯車の歯数(43枚→50枚)変更で逆転機内での最終減速比が3
キハ65形気動車(キハ65がたきどうしゃ)は、1969年(昭和44年)から1972年(昭和47年)にかけて日本国有鉄道(国鉄)が製造した急行形気動車(ディーゼル動車)である。 国鉄では1961年から急行列車用にキハ58系気動車の大量製造を行った。このグループにおいては1960年代中期以降、冷房装置の搭載が本格化した。