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仕切りを設置する改造を行う。このさい、仕切りのみ設置した10 t 積木造有蓋車がワ300形、仕切りの設置と車内高さの変更を行った10 t 積木造有蓋車がワ350形となる。さらにワ300形のうち12 t 積に変更したのがワ400形となる。その後の景気回復によりワ300形のうち24両が仕切りを取り外し、元の15
- ワム5019)は豊橋鉄道へ移る。昭和30年代後半から昭和40年代前半には数両が私有貨車に振り分けられ、20両程が常滑通運、大同製鋼の私有貨車として運用された。 国鉄の貨物列車の速度がヨンサントオダイヤ改正により75 km/hに引き上げられるのに伴い、老朽化の進んだワム5000形
9日から1950年(昭和25年)1月25日にかけて6両(タム5100 - タム5105)が呉羽化学等にて製作された。本形式製作中に同専用種別、同積載荷重のタム5000形も生産されていたが両形式の差異は不明である。 本形式の他に塩酸を専用種別とする形式はタ1750形(1両)、タ1850形(3両)、タ3
落成時の所有者は、大和紡績、日東紡績、東洋化成工業、昭和工業の4社であった。1967年(昭和42年)4月13日に日東紡績所有車1両(コタキ5103)が東洋化成工業へ名義変更された。1977年(昭和52年)3月2日に大和紡績所有車1両(コタキ5100)が四国化成工業へ名義変更された。1992年(平成4年)4月に昭和工業所有車4両(コタキ5130
積 私有貨車(ホッパ車)である。 本形式と同一メーカーにて同時期に製造されたホキ5000形及び本形式より改造され別形式となったホキ5800形についても本項目で解説する。 ホキ5100形は燐酸ソーダ輸送用として1960年(昭和35年)6月13日から1962年(昭和37年)3月14日にかけて東洋工機にて9両(オホキ5100
本へ5両、JR九州へ3両の合計8両のみが承継された。これらは事業用車(控車)代用として使用されていたもので、検重車(ケ10形)を用いた域内各拠点の「台秤」を較正する作業の際に、補助機器の輸送や係員の添乗に用いられた。一部にはユニットサッシの2段窓を側面に設けた車両も存在した。これらの代用車は検重車の
サ1形は、事業用となっていたワム1形13両を1953年(昭和28年)の称号規程改正の際に、正式に工作車に区分類別(サ1 - サ13)したものである。その後4両(サ14 - サ17)が、1955年(昭和30年度)に追加改造され、合計17両(サ1 - サ
国鉄ワム50000形貨車(こくてつワム50000がたかしゃ)は日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した 15 t 積み二軸有蓋貨車である。 15 t 積み二軸有蓋車は1938年(昭和13年)から鋼製のワム23000形が量産されていたが、日中戦争の激化により戦時型として本形式が1940年(昭和