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クに到着。1943年(昭和18年)1月6日、トラックを出港したが機関故障により引き返した。修理の後2月3日にトラックを出港。6日、ラバウル北西沖で浮上航走中、零式水上偵察機から誤爆されるも、ダメージは軽微で済んだ。7日にラバウルに到着。8日にラバウルを出港し、ポートモレスビー沖で哨戒を行う。14日1
大尉:1921年4月1日 - 1922年7月15日 (心得)塹江乙矢 大尉:1922年7月15日 - (心得)岩高賢治 大尉:1922年12月1日 - 1925年6月22日 (兼)高橋真十郎 中佐:1925年6月22日 - 8月1日 小林三良 少佐:1925年8月1日 - 1925年12月1日 吉富説三 少佐:1925年12月1日
呂号第百十三潜水艦(ろごうだいひゃくじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂百型潜水艦(小型)の14番艦。 1942年(昭和17年)の昭和17年度計画(マル急計画)により、1942年7月11日、川崎重工業泉州造船所で起工。1943年(昭和18年)4月24日進水。1943年10月12日、川崎重
- 佐世保を出航。24日、ペナン着。 12月3日 - ペナンを出航。インド洋で活動。 12月14日 - 軍需品を積んでボンベイからコロンボへ航行中の英貨物船デーズイ・モラー(Daisy Moller、4,087トン)を雷撃により撃沈。 1944年(昭和19年)2月2日 - ペナンを出航。ベンガル湾方面で活動。
ほどの爆発音を聴取。その後、連続した小爆発と潜水艦が沈んでいく音を聴取した。翌朝、現場海域には潜水艦のものと思われる破片と重油が漂っていた。部隊は木製甲板の破片、クロノメーターケースの破片、コルク栓2つ、多数の断熱材を回収した。これが呂108の最期の瞬間であり、艦長の小針寛一大尉以下乗員53名全員戦
後出港。20日にラバウルに到着。26日、輸送物資を積んでラバウルを出港し、スルミに向かう。28日にスルミに到着し、輸送物資を降ろした後出港。30日にラバウルに到着。2月12日、輸送物資を積んでラバウルを出港し、スルミに向かう。14日にスルミに到着し、輸送物資を降ろした後出
8月14日、呂109は佐世保を出港し、24日にラバウルに到着。航海中の15日、南東方面艦隊第7潜水戦隊に編入。 9月1日、第51潜水隊に編入。 9日、呂109はラバウルを出港し、ガダルカナル島南方沖に進出して哨戒。10月2日、ラバウルに到着。 13日、呂109は輸送物資を積んでラバウルを出港
第8艦隊第7潜水戦隊に編入。 3月31日 - 佐世保を出航。 4月12日 - ラバウル着 4月22日 - ラバウルを出航。ガダルカナル島東方で活動。 5月31日 - ラバウルを出航。ガダルカナル島東方で活動。 6月30日 - ラバウルを出航。レンドバ島方面で活動。 7月18日 - 南緯09度03分