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クに到着。1943年(昭和18年)1月6日、トラックを出港したが機関故障により引き返した。修理の後2月3日にトラックを出港。6日、ラバウル北西沖で浮上航走中、零式水上偵察機から誤爆されるも、ダメージは軽微で済んだ。7日にラバウルに到着。8日にラバウルを出港し、ポートモレスビー沖で哨戒を行う。14日1
呂号第五百一潜水艦(ろごうだいごひゃくいちせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。ドイツ海軍の潜水艦のIXC40型U1224が日本に譲渡されたもので、ドイツ海軍が日本海軍に無償譲渡したUボート2隻のうちの1隻である。 「呂501」は「呂500」とともに、日本海軍によるインド洋での通商破壊実施を望ん
- 佐世保を出航。24日、ペナン着。 12月3日 - ペナンを出航。インド洋で活動。 12月14日 - 軍需品を積んでボンベイからコロンボへ航行中の英貨物船デーズイ・モラー(Daisy Moller、4,087トン)を雷撃により撃沈。 1944年(昭和19年)2月2日 - ペナンを出航。ベンガル湾方面で活動。
礁する。これを受け、呂101が救援に向かうこととなった。呂103では消耗品と食糧、魚雷を投棄して艦を軽くしようとする。10日、南方を航行する駆逐艦を発見し、機密文書を海に捨てるよう命令が出されるが、駆逐艦は呂103を発見することなく去っていった。11日、呂103は燃料と真水の投棄を行った後離礁
ほどの爆発音を聴取。その後、連続した小爆発と潜水艦が沈んでいく音を聴取した。翌朝、現場海域には潜水艦のものと思われる破片と重油が漂っていた。部隊は木製甲板の破片、クロノメーターケースの破片、コルク栓2つ、多数の断熱材を回収した。これが呂108の最期の瞬間であり、艦長の小針寛一大尉以下乗員53名全員戦
8月14日、呂109は佐世保を出港し、24日にラバウルに到着。航海中の15日、南東方面艦隊第7潜水戦隊に編入。 9月1日、第51潜水隊に編入。 9日、呂109はラバウルを出港し、ガダルカナル島南方沖に進出して哨戒。10月2日、ラバウルに到着。 13日、呂109は輸送物資を積んでラバウルを出港
第8艦隊第7潜水戦隊に編入。 3月31日 - 佐世保を出航。 4月12日 - ラバウル着 4月22日 - ラバウルを出航。ガダルカナル島東方で活動。 5月31日 - ラバウルを出航。ガダルカナル島東方で活動。 6月30日 - ラバウルを出航。レンドバ島方面で活動。 7月18日 - 南緯09度03分
その系譜と戦歴全記録』160頁。 ^ a b 『艦長たちの軍艦史』458頁、『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』160頁。 雑誌「丸」編集部『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。