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「だざいふ(大宰府)」に同じ。
〔通例, 官庁は「大宰府」, 地名は「太宰府」と書く〕
大宰帥(だざいのそち/だざいのそつ)は、大宰府(九州筑紫)の長官。唐名は都督、和名は「おほみこともちのかみ」。 律令制において西海道の9国2島を管轄し、九州における外交・防衛の責任者となった。9世紀以降は親王の任官で、大宰府に赴任しないことが慣例となり、実権は次官の大宰権帥(だざいのごんのそち)及び大宰大弐(だざいのだいに)に移った。
اعظم)は、オスマン帝国における最上位の官位で、ペルシャ語のヴェズィール (vizier、وزير、宰相の意)に由来する。また、ヴェズラザム (Vizrazam)、ヴェズザラムと呼ばれる場合もある。英語では、Grand Vizierと呼ぶ。 大宰相は支配構造上ではスルタンの直下に位置し、スルタンの絶対権力を代行する立場であ
大化前代, 天皇の命令を受けて地方に赴き政務をつかさどった者。
大宰権帥(だざいのごんのそち/だざいのごんのそつ)は、大宰府の長官である大宰帥(だざいのそち)の権官である。初代は弘仁元年(810年)の阿保親王、2代目は承和4年(837年)の藤原常嗣であるが、前者は薬子の変による連座、後者は遣唐大使としての功労による特殊事情による任命であるため、貞観15年(873
〔「ださい」とも〕
中国の官名。 周代, 六卿(リクケイ)の一。 天官の長。 天子を補佐して, 百官を統率した。 宰相。 大宰(タイサイ)。