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^ #昭和17年10月〜4水雷詳報(2)p.11『…2D/2dgハ11S及10Sノ前程ニアルコトヲ得タルモ朝雲及1D/2dgハ次回反転後ハ本隊ノ右正横附近ニ位置スル状況トナレリ』 ^ #夕立戦闘詳報p.12『0100|夕立|4sd司令官|我夕立航行不能|朝雲附近ニ来ル打方待ツ』 ^ #夕立戦闘詳報p
四戰隊(摩耶鳥海缺)四驅(2D缺)十驅逐隊(秋雲缺)七驅逐隊、朝潮荒潮ヲ率ヰ東京灣出撃灣外ニテ摩耶ヲ併セ十九日早朝敵ノ進攻地點ヲ推定索敵ニ努メタルモ敵情ヲ得ズ/三.二十日早朝敵ノ補給或ハ再度空襲準備地點ヲ水偵索敵ヲ行ヒタルモ又敵情ニ關シ得ル所ナシ/四.二十日午後ハ五戰隊(那智缺)祥鳳及二水戰(驅逐隊缺
風雲(かざぐも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。 風雲(かざぐも)は、日本海軍が浦賀船渠で建造し、太平洋戦争で運用した駆逐艦。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の3番艦である。 1940年(昭和15年)12月末に起工、1942年(昭和17年)3月28日に竣工し、第10駆逐隊に所属した。
夏潮に峯雲が衝突、黒潮が峯雲に追突した。峯雲は僚艦に付き添われ、呉に戻った。損傷艦は呉海軍工廠で修理をおこなった。 同年12月8日の開戦時、第9駆逐隊(駆逐隊司令佐藤康夫大佐)は朝潮型5-8番艦4隻(朝雲、山雲、夏雲、峯雲
山雲(やまぐも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。一等駆逐艦朝潮型(満潮型)の6番艦である。1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦で西村艦隊に所属しスリガオ海峡へ突入、米艦隊の砲雷撃を受けて沈没した。艦名は海上自衛隊のやまぐも型護衛艦「やまぐも」に継承された。
近に命中し、続いて二番目の魚雷はメインマスト付近に命中した。三番目の魚雷も命中したが、四番目の魚雷は外れたと考えられた。秋雲側では4本が命中したと判断された。魚雷の命中を受けて船体は45度に傾き、艦尾は海中に没していた。秋雲駆逐艦長入戸野篶生少佐は「総員退艦」を令した後、艦橋予備室に入って戸を閉め艦
1941年(昭和16年)4月10日に第一航空艦隊が編成されると第34駆逐隊(羽風、秋風、太刀風)は第一航空戦隊に、駆逐艦(夕風、三日月)は三航戦に所属した。 直後に最新鋭の陽炎型駆逐艦で編制された第17駆逐隊が第一航空艦隊に編入され、第34駆逐隊(羽風、秋風、太刀風)は第二遣支艦隊を経て第十一航空艦隊附属となって
独海軍のS90。船首楼を備えて航洋性を向上させた。 英海軍の「スウィフト」。飛躍的に大型化した。 旧独海軍のS-113。大口径砲を備えた。 1919年のヴェルサイユ条約締結ののち、ドイツが第1次大戦中に建造した大型駆逐艦であるS-113・V-116は、賠償艦として、それぞれフランスとイタリアに引き