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四戰隊(摩耶鳥海缺)四驅(2D缺)十驅逐隊(秋雲缺)七驅逐隊、朝潮荒潮ヲ率ヰ東京灣出撃灣外ニテ摩耶ヲ併セ十九日早朝敵ノ進攻地點ヲ推定索敵ニ努メタルモ敵情ヲ得ズ/三.二十日早朝敵ノ補給或ハ再度空襲準備地點ヲ水偵索敵ヲ行ヒタルモ又敵情ニ關シ得ル所ナシ/四.二十日午後ハ五戰隊(那智缺)祥鳳及二水戰(驅逐隊缺
風雲(かざぐも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。 風雲(かざぐも)は、日本海軍が浦賀船渠で建造し、太平洋戦争で運用した駆逐艦。夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の3番艦である。 1940年(昭和15年)12月末に起工、1942年(昭和17年)3月28日に竣工し、第10駆逐隊に所属した。
夏潮に峯雲が衝突、黒潮が峯雲に追突した。峯雲は僚艦に付き添われ、呉に戻った。損傷艦は呉海軍工廠で修理をおこなった。 同年12月8日の開戦時、第9駆逐隊(駆逐隊司令佐藤康夫大佐)は朝潮型5-8番艦4隻(朝雲、山雲、夏雲、峯雲
山雲(やまぐも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。一等駆逐艦朝潮型(満潮型)の6番艦である。1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦で西村艦隊に所属しスリガオ海峡へ突入、米艦隊の砲雷撃を受けて沈没した。艦名は海上自衛隊のやまぐも型護衛艦「やまぐも」に継承された。
1941年(昭和16年)6月23日、駆逐艦夏潮と黒潮を巻き込む多重衝突事故を起こした。 12月8日の太平洋戦争開戦時、ひきつづき朝潮型4隻(峯雲、朝雲、夏雲、山雲)で編制された第9駆逐隊に所属し、第四水雷戦隊僚艦と共に南方作戦にともなうフィリピン作戦、蘭印作戦(バリクパパン沖海戦、スラバヤ沖海戦、クリスマス島攻略作戦)等に参加した。
近に命中し、続いて二番目の魚雷はメインマスト付近に命中した。三番目の魚雷も命中したが、四番目の魚雷は外れたと考えられた。秋雲側では4本が命中したと判断された。魚雷の命中を受けて船体は45度に傾き、艦尾は海中に没していた。秋雲駆逐艦長入戸野篶生少佐は「総員退艦」を令した後、艦橋予備室に入って戸を閉め艦
朝露(あさつゆ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の11番艦である。 1905年(明治38年)2月15日、命名(製造番号第11号)。1906年(明治39年)4月22日、駆逐艦に類別。同年10月16日、大阪鉄工所桜島工場で竣工。 1913年(大正2年)11月9日、七尾湾大グリ暗礁で座
朝凪(あさなぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。神風型(2代目)の8番艦である。 一等駆逐艦朝凪(あさなぎ)は、日本海軍が大正時代に藤永田造船所で建造した駆逐艦。竣工時は第十五駆逐艦だったが、1928年(昭和3年)8月1日付で「朝凪」に改名された。 竣工後は第29駆逐隊(追風、疾風、朝凪