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山元遺跡から出土した土器は、東北系のものが主体である。弥生中期後葉の土器は、東北日本海側の山草荷(やまそうか)式を主として北陸系の小松式をまじえる。後期になると土器の8割から9割が東北系で占められるが、一部に北陸系や、北海道から東北北部に分布する続縄文土器もみられる。石器は共伴土器との関連で弥生後期とみら
では、木材で組まれたしがらみ状の遺構も検出された。骨角製品では、骨鏃や骨製釣り針・ヤス・鹿角製アワビオコシ等の狩猟・漁労具のほか、火で焼きヒビの入り方によって吉兆を占う占術(太占)に用いられた鹿の肩甲骨=卜骨(ぼっこつ)等の祭祀具が出土した。これらの遺物から、弥生時代の池子の谷では川の周りに集落が営
「いせき(遺跡)」に同じ。
(1)過去の人間の営為の跡が残されている場所。 遺構・遺物のある場所。 考古学では住居址・墳墓・貝塚・城郭など, 土地に固定して動かすことができないものをさす。
。しかし、同じ時期に台地上に集落が存在したにもかかわらず、住み心地がよいとは考えがたい川岸にわざわざ建物を営んだ理由は不明である。集石土壙からは熱で赤変した拳大またはその2倍程度の大きさの石が多数見つかっており、調理に関する遺構とみられる。 なお、谷を挟んで向かいの北側にも同時期の遺構がないかどうか
Ⅸ層:石器64点、うちナイフ形石器1点、台形石器1点、スクレイパー1点、使用痕剥片2点、石核3点、剥片41点、砕片12点、礫器2点、ハンマー1点。大半が流紋岩製である。黒曜石2点の産地分析の結果は、小深沢産1点、柏峠産1点であった。 Ⅶ層:石器90点、うちナイフ形石器5点、スクレイパー3点、ドリル1点、使用痕剥片2点、石核6点
るようになる。また地床炉も複式炉となり、北陸や関西方面からの影響がうかがえるものとなっている。 出土品は有舌尖頭器や石棒のほか、早期の押型文土器、北陸型の葉脈状文土器がある。出土品には瀬戸内から関東由来のものがみられるが、傾向として建物の変遷と同じく信州方面(神之木式土器など)の影響のみられるものか
こうした土器は船橋遺跡や玉津田中遺跡などで確認されているが、井戸などからまとまって出土することから水の祭祀に関係すると考えられている。龍は中国では雨ごいの神と考えられており、こうした由来を知る人物が近畿地方に存在した可能性が指摘されている。 1903年:池上町在住、旧制中学在学中の南繁則(1888