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4日、マタ23船団を護衛して高雄へ向けマニラ発。26日、潜水艦制圧のため船団から分離。27日、マタ24船団と合同。28日、マタ24船団はヒンゲットに避泊し、本艦は対潜掃蕩を実施。 7月4日、マタ24船団は高雄着。12日、ミ06船団を護衛して門司へ向け高雄発。17日、門司着。佐世保へ回航し、18日から
22.317; 120.500の琉球嶼灯台東方14km地点付近に差し掛かったところで、陸軍臨時配当船永治丸(日本郵船、6,968トン)の右舷1番船倉前部に触雷。大破した同船は総員退去となった後、0753に大爆発して船体が二つ折れとなって沈没。さらに響も0825に触雷大破する。第二十八号海防艦は遭難
第三十号海防艦(だいさんじゅうごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の15番艦。太平洋戦争の終戦直前に沈没した。 マル戦計画の海防艦丁、第2701号艦型の15番艦、仮称艦名第2715号艦として計画。1944年(昭和19年)2月15日、三菱重工業長崎造船所で起工。4月5日、第三十号海防艦
、第十二海防隊はタモ39船団(5隻)を護衛して内地へ向け基隆発。2月8日六連着。 2月13日、第十二海防隊はモタ36船団(第一分団2隻)を護衛して六連発。18日、基隆着。22日、タモ44船団(3隻)を護衛して基隆発。28日、六連着。 1945年3月1日、本艦は彦島へ回航し、同日から8日まで三菱重工業
ン行きとミリ行きに分かれることとなり、本艦は春風、朝風とともにミリ行き船団(マミ09船団、5隻)を護衛することとなった。9日、マミ09船団はミリに到着し、本艦はミリ湾口の警戒にあたる。13日、復航のミマ10船団(11隻)を護衛してマニラへ向けミリ発。19日、マニラ着。21日、タマ18船団を迎えるた
第十六号海防艦(だいじゅうろくごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の8番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は復員輸送に従事した。 マル戦計画の海防艦丁、第2701号艦型の8番艦、仮称艦名第2708号艦として計画。1943年10月5日、横須賀海軍工廠で仮称艦名第2701号艦、同
第百八十六号海防艦(だいひゃくはちじゅうろくごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型海防艦)。 第186号海防艦は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月15日、三菱重工業長崎造船所において竣工。佐世保鎮守府籍、呉防備隊に編入。佐伯湾に廻航され、対潜訓練隊において対潜訓練に従事した。
5月14日まで整備作業、配置教育訓練。この間、北九州空襲の報により対空戦闘配置に就く。 5月14日出港哨戒の任につく。 5月18日的山大島入港、基地化のた め陸上にて井戸掘作業。 5月26日出港哨戒。昼夜に亘り戦闘爆雷戦反覆。 5月28日帰港、夕刻出港哨戒。 5月31日命により鎮海入港。海防隊集合す。