Ngôn ngữ
Không có dữ liệu
Thông báo
Không có thông báo mới
第十六号海防艦(だいじゅうろくごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の8番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は復員輸送に従事した。 マル戦計画の海防艦丁、第2701号艦型の8番艦、仮称艦名第2708号艦として計画。1943年10月5日、横須賀海軍工廠で仮称艦名第2701号艦、同
日、引き続きミ08船団を護衛してマニラ発。27日、中継地の高雄に入港。30日、引き続きミ08船団を護衛して門司へ向け高雄発。 8月1日、船団は基隆に避泊。4日、基隆発。7日、対潜掃蕩中に本艦は機関故障を起こしたため一旦那覇に寄港。8日、那覇を出撃して対潜掃蕩を継続しつつ船団に追及。11日、ミ08船団
を護衛してセブへ向けパラオ発。22日、セブ着。22日から27日まで、セブで機関整備を行う。28日、タパ09船団を出迎えるためセブを出港し、同日セブに帰着。30日、セパ01船団(パラオ行き、海軍徴傭船多摩丸)/セダ01船団(ダバオ行き、2隻)を護衛してセブ発。 7月1日、船団はパラオ行きとダバオ行きの
5月14日まで整備作業、配置教育訓練。この間、北九州空襲の報により対空戦闘配置に就く。 5月14日出港哨戒の任につく。 5月18日的山大島入港、基地化のた め陸上にて井戸掘作業。 5月26日出港哨戒。昼夜に亘り戦闘爆雷戦反覆。 5月28日帰港、夕刻出港哨戒。 5月31日命により鎮海入港。海防隊集合す。
いす丸(三菱汽船、7,268トン)へ向け魚雷を発射。魚雷はさんるいす丸の船首に命中したが、沈没はしなかった。1804、ベクーナはホークビルと共同で攻撃し、逓信省平時D型貨物船改装応急タンカー徳和丸(日東汽船、1,943トン)が撃沈された。損傷したさんるいす
4日、マタ23船団を護衛して高雄へ向けマニラ発。26日、潜水艦制圧のため船団から分離。27日、マタ24船団と合同。28日、マタ24船団はヒンゲットに避泊し、本艦は対潜掃蕩を実施。 7月4日、マタ24船団は高雄着。12日、ミ06船団を護衛して門司へ向け高雄発。17日、門司着。佐世保へ回航し、18日から
22.317; 120.500の琉球嶼灯台東方14km地点付近に差し掛かったところで、陸軍臨時配当船永治丸(日本郵船、6,968トン)の右舷1番船倉前部に触雷。大破した同船は総員退去となった後、0753に大爆発して船体が二つ折れとなって沈没。さらに響も0825に触雷大破する。第二十八号海防艦は遭難
戦。引揚用の特別輸送艦としてGHQの許可を得た上で工事を続行。1946年4月7日竣工。直ちに呉に回航、復員輸送に従事し上海へ向け出港。博多に帰還するとその後博多とコロ島を5往復、コロ島から大沽、大沽からコロ島経由で博多港への復員任務をこなした。11月上句、艦長が川本昇に交替。12月まで博多とコロ島を