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塩屋 鯯魚(しおや の このしろ)は、飛鳥時代の豪族。姓は連。塩屋小戈と同一人物だとする説がある。 後述の遺言からして、からくりを作る者ではなかったのか、と『日本書紀通証』(谷川士清)にある。 『新撰姓氏録』「河内皇別」によると、「塩屋連」は葛城襲津彦の子孫であるらしい。 鯯
の使用の点で非常に高位の人物の埋葬が想定されており、紀伊で処刑されたという有間皇子との関連性が指摘される。なお有間皇子とともに処刑された塩屋鯯魚について、塩屋鯯魚は当地域の出身であるとして塩屋連(塩屋氏)一族が有間皇子の墓を作ったともいわれる。 なお有間皇子の墓に関しては、藤白坂伝承地の藤白神社(海南市)そばにも墓碑が建てられている。
おおいわ)は、飛鳥時代の人物。姓(カバネ)は君。冠位は小錦。 守氏は景行天皇皇子の大碓命の後裔を称する美濃国の豪族。 斉明天皇4年(658年)に発生した有間皇子の変に塩屋鯯魚・境部薬らと共に連座して上野国への流罪となる。 ほどなく赦されたと見え、斉明天皇7年(661年)には百済救援のために水軍の将として派遣されている(この時の冠位は大山下)。