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本因坊(ほんいんぼう) 江戸時代、安井家・井上家・林家と並ぶ囲碁の家元四家のうちの一つ(→後述の「本因坊家」を参照)。 昭和になって創設された、囲碁の棋戦の一つである本因坊戦に優勝した棋士に贈られるタイトル(→後述の「本因坊戦」を参照)。 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑に仕えた(とされる)日海
脇本安 (九州大学) 1976年 石倉昇 (東京大学) 1977年 木原廣美(九州大学) 1978年 金沢盛栄(京都大学) 1979年 金沢盛栄(京都大学) 1980年 金沢盛栄(京都大学) 1981年 金沢盛栄(京都大学) 1982年 和田幸樹(駒澤大学) 1983年 金沢東栄(京都教育大学) 1984年
女流本因坊戦(じょりゅうほんいんぼうせん)は、共同通信社及び日本棋院主催の囲碁の女流棋戦。1981年創設。女流棋戦では最も格が高い。挑戦手合の勝者は女流本因坊のタイトル称号を得る。また5連覇により名誉女流本因坊の資格を得る。前身は1952年創設の女流選手権戦。毎日新聞社主催の本因坊戦とは無関係。 掲載新聞
全日本女子学生本因坊決定戦(ぜんにほんじょしがくせいほんいんぼうけっていせん)は、囲碁の学生女子日本一を決める大会である。 1966年(昭和41年)に関東・中部女子囲碁対抗戦として団体戦、個人戦で開始。1971年(昭和46年)に全日本女子学生大会に発展。1996年(平成8年)から個人戦(全日本女子
本坊(ほんぼう) 仏教寺院の用語。大寺院の僧房でその寺の寺務を取り仕切る僧房のこと。 日本の姓の一つ。 本坊家 - 鹿児島県南さつま市を源流とする一族。鹿児島県を中心に本坊酒造、薩摩酒造、本坊商店、サナス(旧・日本澱粉工業)など同族経営によるグループ企業を多数有する。 本坊輝雄 - 政治家(南さつま市長)
51が隅の攻め合いの手数を伸ばす意表をついた手で、これへの応手を白が誤り、もともと白のシマリだったところが黒有利な1手ヨセコウとなって、黒が大優勢になった。黒は白に損コウを打たせたことで、コウは白に譲り、右下、左上、中央の大どころを打って、その後も手堅い着手に終始し、差は縮まったが、237手まで黒中
上辺の模様が大きくなった。続いて黒21の切りがきびしく、黒25が「さすが秀行」と言われた好手で、黒37まで優位に立った。第2図、白△(108手目)が非勢を打開するための勝負手で、黒1から5とコウになり、白14がコウ立てになっていない手で、黒は2に継ぐことができたが、15と受けてしまった。この後黒はコ
まで細碁の局面で進むが、図の白1(128手目)から白3が好手で、先手で白Aと打つ大きなヨセを残し、これに対する黒4が形勢不利を承知で覚悟を決めた「隠忍自重」の手と観戦記に書かれた。しかしこの後の折衝で黒はAの右に守る手順を得て、優勢となる。262手完、黒3目半勝。