Ngôn ngữ
Không có dữ liệu
Thông báo
Không có thông báo mới
1924年(大正13年)11月1日に「呂号第~潜水艦」と改名。 呂号第十六潜水艦 ←第三十七潜水艦から改名 1922年(大正11年)4月29日竣工(呉海軍工廠)。1933年(昭和8年)9月1日除籍。 呂号第十七潜水艦 ←第三十四潜水艦から改名
Ref.C16120682300 p.46『一七|二〇三四|「ウエイク」島ノ二五二度二五浬ニ於テ呂六二潜監視哨戒中呂六六潜ト衝突、呂六六潜ハ瞬時ニシテ沈没ス(下士官四名ヲ救助セシノミ)呂六二潜ハ艦内異状ナク航行可能ナリ』 ^ #海軍生活放談478-480頁『海戦時7Ssの作戦行動』 ^ a
1924年(大正13年)11月1日に「呂号第~潜水艦」と改名。 呂号第二十九潜水艦 ←第六十八潜水艦から改名 1923年(大正12年)9月15日竣工(神戸川崎)。1936年(昭和11年)4月1日除籍。 呂号第三十潜水艦 ←第六十九潜水艦から改名 1924年(大正13年)4月29日竣工(神戸川崎)。1
^ SULZER社。英語読みではスルザー。 ^ ちなみに日本で最初の潜水艦設計は川崎造船所で建造された波号第六潜水艦。海外からの輸入潜水艦に性能で上回れず、後が続かなかった。 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8
呂十三型潜水艦(ろじゅうさんがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。海中2型(かいちゅうにがた)とも。同型艦3隻。戦歴なし。 1917年(大正6年)度の八四艦隊案により3隻が建造され、1920年(大正9年)から1921年(大正10年)にかけて竣工した。海中1型を発展させ
1942年(昭和17年)12月15日:解隊。残存艦は第1潜水隊に編入。 横須賀鎮守府籍の伊24、巡潜乙型の伊25・伊26で編成。L2型からなる先代の第4潜水隊が、所属艦の除籍により1940年(昭和15年)4月1日に解隊されて以来、3代目となる。昭和17年8月10日に解隊され、所属艦は第2潜水隊に編入された。
1942年(昭和17年)5月20日に改称、艦番に100を加えた。 伊号第六十一潜水艦 1929年(昭和4年)4月6日竣工(三菱神戸)。1941年(昭和16年)10月2日古志岐水道北方で木曽丸と衝突沈没。 伊号第百六十二潜水艦 ← 伊号第六十二潜水艦から改称 1930年(昭和5年)4月24日竣工(三菱神戸)
1928年12月10日 奥島章三郎 少佐:1928年12月10日 - 1930年4月22日 久米幾次 大尉:1930年4月22日 - 1931年4月1日 (兼)堤道三 大尉:1931年4月1日 - 1931年5月1日 鳥居威美 大尉:1931年5月1日 - 1931年11月2日 溝畠定一 少佐:1931年11月2日