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朝霜21dg(初霜)41dg(霜月)先着ノ岸波 昭南ニテ修理中ノ清霜〕〕 ^ a b #S1911第五艦隊日誌(1) p.30〔 二二(天候略)一五〇〇2YB〔《長官》足柄《司令官》羽黒 4sf(《司令官》日向 伊勢) 榛名 大淀 2sd(《司令官》霞 潮 朝霜 初霜 霜月)〕「リンガ」着(略)
夕月)とともに東京行きの第3628船団を護衛する予定であったが、船団の速力が7ノットと遅い事や船団および3隻(清霜、皐月、夕月)が空襲を受けた事により、護衛を取りやめて横須賀に帰投した。 7月中旬の第十一水雷戦隊は、長良、高雄型重巡洋艦4番艦摩耶、香取型練習巡洋艦2番艦鹿島、駆逐艦(清霜
艦。1943年(昭和18年)11月27日に竣工し、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属した。 1944年(昭和19年)2月10日、夕雲型3隻(朝霜、岸波、沖波)は第二水雷戦隊隷下の第31駆逐隊に編入され、松輸送など船団護衛任務に従事した。2月下旬、護衛中の輸送船崎戸丸を撃沈されたが、朝霜も潜水艦トラウトを撃沈した。
早霜に続行していた秋霜は面舵に変針、直後、左方から来た速力24ノットの島風(当時、摩耶生存者約600名便乗中)と衝突した。秋霜の右舷艦首が島風の左舷艦首に衝突する。 秋霜は艦前部とスクリューに若干の損傷を受けたが、当面の戦闘に影響はなかった。これは島風が岩礁を魚雷艇と誤認して「敵見ユ」の信号を発し、混乱した為だったという。
早波もハーダーの雷撃により撃沈された。 早波は、1942年度(マル急計画)仮称第340号艦として1942年(昭和17年)1月15日、舞鶴海軍工廠で起工。舞鶴海軍工廠は本艦をふくめ夕雲型6隻(夕雲、巻波、早波、浜波、沖波、早霜)の建造を担当した。 7月10日、建造中の駆逐艦(第340号艦)は『早波
早潮(はやしお / はやしほ)は、日本海軍の駆逐艦。陽炎型駆逐艦の5番艦である。1942年(昭和17年)11月下旬、ラエ沖で空襲により大破、沈没した。戦後、艦名は海上自衛隊のはやしお型潜水艦「はやしお」、はるしお型潜水艦「はやしお」に継承された。 1940年(昭和15年)8月末に浦賀船渠で完成した陽
独海軍のS90。船首楼を備えて航洋性を向上させた。 英海軍の「スウィフト」。飛躍的に大型化した。 旧独海軍のS-113。大口径砲を備えた。 1919年のヴェルサイユ条約締結ののち、ドイツが第1次大戦中に建造した大型駆逐艦であるS-113・V-116は、賠償艦として、それぞれフランスとイタリアに引き
Melville, AD-2) 新造艦。1915年12月3日就役、1946年8月23日退役。 ドビン級駆逐艦母艦- 2隻 ドビン (USS Dobbin, AD-3) 新造艦。1924年7月23日就役、1946年9月27日退役。 ホイットニー (USS Whitney, AD-4) 新造艦。1924年9月2日就役、1946年10月22日退役。