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その後1928年(昭和3年)頃より国内でも主として潜水艦用の物を対象に基礎的研究を実施するようになり、捕音器に関しては炭素粒型、可動鉄片型、可動線輪型、コンデンサ型などの研究試作を行ったが、技術的困難から満足のいく物を得られず、また指向性を得るための電気的位相調整器(整相器)の回路および構造が当
要部は、水中音波を捕らえ電気信号に変換する捕音器、各補音器の信号を合成し、音源の方位を測角する整相器、各捕音器が捕らえた音を聞くための受聴器からなっており、方向測定原理は九三式水中聴音機と同じく、電気整相器により各補音器の信号を電気的遅延回路を経て合成し、最大音を求める最大感度方式が用いられていた。
三式水中聴音機の開発にあたり、当初は資材・工作力の節減と大量生産の観点から、ロッシェル塩型補音器の使用が検討されていたが、これは高感度増幅器と大量の電池を必要とする事から資材節減の趣旨にそぐわないとされ、最終的に炭素粒型補音器が使用される事となった。
九〇式大空中聴音機(きゅうまるしきだいくうちゅうちょうおんき)は1932年(昭和7年)に日本軍が採用した音響探知装置である。 聴音機とは飛行する航空機の音を捉え、その位置や移動方向を割り出すものであるが、より探知精度の高いレーダーの実用化で姿を消した。しかし、電波探知機
聴音機(ちょうおんき)とは、空気中・水中・地中などの音波を聞き取る装置のことである。この項目では聴音装置のうち、主に空中聴音機について説明する。空中聴音機は主に軍事的な防空監視において夜間、または霧、雲などの気象条件が悪く、目視によって航空機を特定できない状況下で使用された。 空中聴音機
桁は軽い前進角を持つ。本形式はその後一式戦「隼」(キ43)・二式戦「鍾馗」(キ44)・四式戦「疾風」(キ84)の、設計主務者小山悌による一連の中島製単座戦闘機に採用され続けた。プロペラも糸川と同じく新任技師の佐貫亦男(日本楽器製造)が担当した。剛性向上と軽量化を図るため、通し桁
九七式印字機は本体と整流器(交流100V - 直流24V)、蓄電池および他の付属品から構成される。 本体は打鍵盤、作動機、印字機、筐体、台板から構成され、自重は約42kg。 鍵文字を4つの鍵輪に設定し、平文を打鍵すると暗号文が印字される。 入出力文字は打鍵部の外観から判断して仮名文字である。 外務省や海軍の九七式と異なり、プラグボードが存在しない。
17年)に終了し、次第に後継機である一〇〇式輸送機や一式貨物輸送機、一式双発高等練習機と交替して前線を退いた。その後も後方での人員輸送や連絡任務の他、終戦時まで現役であった。この他、海軍でも手頃な輸送専用機が無かったこともあり、中島式双発輸送機の名で少数機を運用した。