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ここまでが大阪府、次からが和歌山県。 24. 中山王子 25. 山口王子 26. 川辺王子 27. 中村王子 28. 吐前(吐崎)王子 29. 川端王子 30. 和佐王子 31. 平緒王子 32. 奈久知王子 (以上、和歌山市。九十九王子 (和歌山市)参照。) 33. 松坂王子 34. 松代王子 35. 菩提房王子 36. 祓戸王子
王子(『紀伊続風土記』)・焼芝(やけしば)王子(『九十九王子記』、享保15年〈1730年〉)と呼ばれていた。 『中右記』には石内から塩屋までの道が日高川の増水で通行不能になったとあり、他にも『紀伊続風土記』に「此地河流変遷し岩内王子
海南市旦来1226-1 松代王子(まつしろおうじ)は、松坂王子から県道を南下して古道に入り、日方川沿いに進んで松代橋の傍らにある説明板と道標を手がかりに、山道に 200メートルほどわけ入ったところに緑泥片岩の石碑が建てられているあたりに比定される。「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月8日条、『民経記』
ぼり、山中渓駅の北側で阪和線の線路が山中川を越えた辺りの西側辺りに旧社地がある。ウハ目王子(後鳥羽院参詣記・建仁元年(1201年)10月8日条)・宇麻目王子(『民経記』)などの別称あり。 『東鳥取村誌』によれば 自然田から山中に通ずる道路側王子原に小祠があった。俗に山中の足神さんとして知られ、いつも大きな草鞋が社前に供えられていた。
平緒王子(ひらおおおうじ)の跡地である。「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月8日条に「平緒王子」の名が見えるが、日前國懸宮への奉幣のために藤原定家自身は参詣せず、先達のみが奉幣を行ったとある。また、『頼資卿記』承元4年(1210年)4月24日条にも同様に、日前國懸宮への道から和佐・平緒
祗史料』等の史料では、貝田社と加支田神社(泉佐野市鶴原)を同一視している。『泉佐野市史』には御幸記に鶴原王子の名で登場する旨の記述があるが、所在地の考定はない 所在地 泉佐野市貝田町 佐野王子(さのおうじ)は九十九王子の17番目。1908年(明治41年)、春日神社(泉佐野市春日町)に合祀され廃絶する
比定される。かつては、畑の中に土が舞台上に盛り上げられた草舞台と呼ばれていた場所があり、王子跡碑があった。しかし現在では、その痕跡も失われ、畑と駐車場になっている。 『和泉誌』には「今云熊野権現」、『泉州誌』には「積川王子、或云池田王子、余按、昔此辺、積川王子社領地」との記述があり、積川王子の別名か
(1792年)に大工工役三百工をもって再建したとも伝えられるが、紀州藩士児玉荘左衛門が藩命により寛文3年(1663年)から翌々年にかけて領内各地の名所旧蹟を探訪したのを機に再建されたものと、同じ事情によるものであったと見られる。 慶応4年(1868年)5月の水害で社地が崩壊したため、近隣の八坂神社境