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383] ^ a b 熊野路編さん委員会[1973: 114] ^ a b 熊野路編さん委員会[1973: 118] ^ a b 熊野路編さん委員会[1973: 119] ^ 平凡社[1997: 101] ^ 西[1987: 39-44] ^ a b c 熊野路編さん委員会[1973: 121]
から 13世紀にかけて、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で急速に組織された一群の神社をいい、参詣者の守護が祈願された。 しかしながら、承久3年(1221年)の承久の乱以降、京からの熊野詣が下火になり、そのルートであった紀伊路が衰退するとともに、荒廃と退転がすすん
有田市の九十九王子は3社。 一壷王子から南西へ進み、道標や導き石を手がかりに、沓掛地区の民家の間を抜けて拝峠を登りきって丘陵上に出る。道標や万葉歌碑が路傍にある平坦な道を進み、下津湾を臨むところにあるのが蕪坂王子(かぶらざかおうじ、かぶらさかおうじ、または蕪坂塔下王子 ・蕪坂峠王子とも)の跡地である。『中右記』天
ここまでが大阪府、次からが和歌山県。 24. 中山王子 25. 山口王子 26. 川辺王子 27. 中村王子 28. 吐前(吐崎)王子 29. 川端王子 30. 和佐王子 31. 平緒王子 32. 奈久知王子 (以上、和歌山市。九十九王子 (和歌山市)参照。) 33. 松坂王子 34. 松代王子 35. 菩提房王子 36. 祓戸王子
せおうじ)の跡地である。 「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月10日条に、井関王子についで「ツノセ王子」に参拝したとあり、『民経記』承元4年(1210年)4 月26日条には「角瀬川」と見える。しかし、この王子の呼称には異説が多く、西によれば川瀬王子(かわせおう
)建仁元年(1201年)10月10日条に「逆河王子」とあり、『民経記』承元4年(1210年)4月26日条に「サカサマ王子」という王子の名だけでなく割書きに「水逆流有此有名云々」とある。これは、湯浅湾に流れ込む山田川の支流のひとつで王子の近くを流れる逆川のことで、郡内の他の川が西に向かって流れるのに
史跡(1986年〈昭和61年〉2月25日指定)。 所在地 和歌山県日高郡印南町3450 切目王子から旧街道沿いに東南へ進んで紀勢本線の線路を越え、榎峠のやや手前にある中山王子神社(なかやまおうじじんじゃ)が切目中山王子(きりめなかやまおうじ)跡である。『熊野道之間愚記』には山を超えて参詣したとある
王子(『紀伊続風土記』)・焼芝(やけしば)王子(『九十九王子記』、享保15年〈1730年〉)と呼ばれていた。 『中右記』には石内から塩屋までの道が日高川の増水で通行不能になったとあり、他にも『紀伊続風土記』に「此地河流変遷し岩内王子