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算知と道悦の二十番碁が1675年(延宝3年)に終了すると、算知は碁所を返上、2年後の1677年に道悦も退隠するとともに道策を碁所に推挙する。この時道策は2世安井算哲、井上道砂因碩に向先、安井知哲、安井春知に向先二、林門入に向二子の手合であったことから寺社奉行より碁所を命ぜられた。碁所
林柏栄 1838年(天保9年)先番中押勝 林元美 1839年(天保10年)白番3目勝 安井算知 1841年(天保12年)先番中押負 林柏栄 1842年(天保13年)先番9目勝 阪口仙得 同年 白番中押負 安井算知 1843年(天保14年)白番中押勝 林柏栄 同年 先番5目勝 阪口仙得 1845年(弘化2年)先番4目勝
跡目で、道策五弟子の一人と数えられる。法名は日雲。 本因坊道策の跡目道的の死後の元禄5年(1692年)、18歳五段で道策の再跡目となる。この時に兄弟子の桑原道節は争碁を望んだとされるが、道節は井上家を継ぐ。策元はこの年から御城碁に出仕して扶持を得るようになり、毎年出仕して7局を
1892年-不明(囲碁奨励会の対局譜を掲載) 名人秀栄棋譜保存会『秀栄全集』大野万歳館 1911年(棋譜256局を収録、編集主任本因坊秀哉、1922年再版) 高川格『秀栄 日本囲碁大系(17)』筑摩書房 1976年 『本因坊秀栄全集』(全三巻)歴史図書社 1977年 高木祥一『流水秀栄 古典名局選集』日本棋院 1996年
荒木直躬『本因坊秀和全集 (全6巻)』誠文堂新光社 1956-60年 小堀啓爾『秀和 日本囲碁大系14』筑摩書房 1975年 福井正明『堅塁秀和』日本棋院 1995年 福井正明「秀和遺譜」(「圍碁」誌 1996年) 相場一宏、福井正明「碁界黄金の十九世紀(第17、22、26、29回)」(「碁ワールド」誌
その後、1910年には井上田淵因碩五段と十番碁、因碩先で9局目で秀哉が7勝2敗で先二に打ち込むなど、すべての棋士達を先二以下に打ち込んだ。また1910年『新案詰碁死活妙機』(吉川弘文館)を出版。1911年に八段昇段。1914年(大正3年)、41歳の時に名人に推挙され、名実ともに棋界第一人者になる。
門下、八段準名人、十八世本因坊。法名は日寿。 奔放な棋風で知られる。江戸幕府の庇護がなくなった明治期に囲碁結社方円社を主宰して囲碁界を支え、さらに西欧にまで広める端緒をつくった。著書に『方円新法』など。2007年に囲碁殿堂入り。秀甫の養子の村瀬彪は棋士にならず、第一銀行に勤務した。
秀元の実力は四段とはいえ評価は高く、秀栄は「古今稀に見る非常に器用な碁で形・姿に明るく」と評していた(『奇美談碁』)。二度目に本因坊就位した1907年から翌年にかけて、『万朝報』紙の坊門勝継戦では七人抜きも達成した。秀哉とは、秀哉の秀栄門下入り以後、多くの対局を遺している。 「八百長」の語源となった八百屋の長兵衛は、回向院近くの碁会所開