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申すべからざる由を承りぬ。されど、此事の外に国用を足しつべき事なきをもて、去々年より此かた、某ひそかに銀改造らせしによりて、それより此かた、凡の事廃闕なくして今日に至りぬ」と申開きしたと新井白石の『折たく柴の記』に記されている。この開き
宝永三ツ宝丁銀(ほうえいみつほうちょうぎん/ほうえいみつたからちょうぎん)とは、宝永7年4月2日(1710年4月30日)から鋳造開始された丁銀の一種で秤量銀貨であり、単に三ツ宝丁銀(みつほうちょうぎん)とも呼ばれる。 また宝永三ツ宝丁銀および宝永三ツ宝豆板銀を総称して三ツ宝銀(みつほうぎん)と呼ぶ。
宝永三年七月かさねて、また銀貨を改められしかど、なほ歳用にたらざれば。去年の春、対馬守重富が計ひにて、当十大銭を鋳出さるゝ事をも申行ひ給ひき。(此大銭の事は、近江守もよからぬ事のよし申ししとなり)今に至て此急を救はるべき事、金銀の制を改造らるゝの外、其他あるべからずと申す。
銀であり、これを幕府が保管して必要に応じて使用した。また琉球からの使節に対しての賞賜用にも同様に正字丁銀が用いられた。 規定品位は銀80%(一割二分引き)、銅20%である。ただし正銀とは八分入(98%)のより良質な銀品位の灰吹銀であるともいわれる。 京および江戸の銀座で合わせて約40貫の鋳造高である。
スズキ目の海魚。 体は帯状で側扁し, 全長約20センチメートル。 頭が小さく, 背びれは頭の後ろから, 尻びれは体の中央から尾びれ基部に連なる。 体色は暗緑褐色。 東京ではてんぷらの材料とする。 各地の磯にすむ。 ウミドジョウ。 カミソリウオ。
年号(1704.3.13-1711.4.25)。 元禄の後, 正徳の前。 東山・中御門(ナカミカド)天皇の代。
止の触は、江戸より到来した旨が、正月23日(1709年3月4日)付で京都町奉行から小堀仁右衛門他5人の代官に通告された。 大銭相止御触 一 先達て被仰付候、大銭の儀通用致難渋下々迷惑仕候に付、向井後通用相止め様に、今度被仰付候、且又御蔵より出候大銭は、追々御引替可成候旨、町中商売人へ、念入可申渡候事
宝永山(ほうえいざん)は、宝永4年(1707年)の宝永大噴火で誕生した、富士山最大の側火山である。標高は2,693 m。この宝永の大噴火以降、現在に至るまで富士山は噴火していないため、この宝永山が富士山の最新の側火山になる。 富士山の南東斜面にある火口で、宝永