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的である。また、車体前面隅に面取りがされており、助士席側の面取り部分には屋根に登るための足掛け(ステップ)が設けられている。この頃の川崎造船所製の電気機関車は、造船所らしく丸型の側窓を持つものが多かったが、本形式は四角形の窓である。乗務員室扉は、助士席側のみに設置されている。
席定員は34人で、郵便室と荷物室の荷重はそれぞれ2tである。前面は非貫通の3枚窓で、側面窓配置は運転士側がd1D(荷)11D(郵)210D、助士席側がd1D(荷)11D(郵)218Dで、当初から乗務員扉を設置していた。後位妻面には貫通引戸が設置されているが、幌はなかった。最大長は17,052mm(車体長16
0(C)、サイド・ウェルタンク式の公称15トンといわれるタイプで、運転台やサイドタンクの組み立てに皿鋲を用いて、フラッシュ仕上げとしている。また、加減弁はドームの中に収納され、砂箱も他形式の箱形に対してドーム型で、異なる様式となっている。 落成はケ210 - ケ212が1922年11月 - 12月で3両とも東京第二改良事務所、ケ213
台車は、車体に比べて小形の短軸距 (1,370mm) の電車用ブリル27GE-1で、主電動機は形式不明の59.68kWのものを4個装備し、直接制御式であった。歯車比は17:75である。 書類上の製造は南海鉄道工場であるが、現車の銘板は「昭和12年木南車輌製造製」で、南海鉄道が電気
らかな流線形にリ・デザインされた。その際車体表面の鋼板はリベットを廃した溶接車体に変更され、滑らかなラインを実現しており、かつ、コストの節約を実現している。機関車における溶接工法の本格採用としては極めて早い例である。ただし、溶接車体への変更後も試作車と重量に差は無い。
電気式ディーゼル機関車やハイブリッド機関車も電気機関車には含まない。 第二次世界大戦中にはスイスで蒸気機関車にパンタグラフを搭載して電気で加熱できるよう改造した例があるが、これも電気を直接動力にするわけではなく、メカニズムは蒸気機関車そのものであるため、電気機関車ではなく蒸気機関車に区分される。
側面には乗務員室窓が両端に設置され、その間に横長、縦長、横長と3枚の機器室用明かり取り窓がT字状に設けられている。 空気ブレーキの動作に必要な圧搾空気を蓄積するエアータンクは、鉄道省6000形と同様、車体裾部に線路と平行なレイアウトで片側面に2基ずつ、計4基を吊り下げ搭載する。
器の追加設置により機器の放熱に特に注意を払った設計となっていることが見て取れる。 511形の電装品を製作したイングリッシュ・エレクトリック(EE)社の日本での技術提携先である東洋電機製造で製造された、電動カム軸式制御器を搭載する。ただし、同時期の同社製電車用制御器