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(1)和風建築の屏障具(ヘイシヨウグ)の総称。 格子の両側に布または紙を貼ったもの。 部屋の境や窓・縁などに立てる。 紙や布を貼った襖(フスマ)障子, 移動可能な衝立(ツイタテ)障子, 薄紙や絹を貼った明かり障子などがある。 中世以降片側に紙を貼った明かり障子が発達し, 障子といえば明かり障子をさすようになった。 そうじ。 ﹝季﹞冬。
〔「しやうじ」の直音表記〕
格子間)ヲ貼るニ便シ、三ツ折ハ三格間ヲ併セテ貼ルの料トス。」とある。 書院紙は、障子の格子幅に併せて漉かれたが、障子の格子の幅は各地域でまちまちで規格が統一されていなかつた。たとえば、美濃書院紙の場合、尾張・美濃用は縦寸法が九寸三分、三河用は八寸三分、伊勢用は八寸二分であった。此の各地の格子
障子山(しょうじやま)は、愛媛県伊予郡砥部町と伊予市にまたがる皿ヶ嶺連峰の西部に座する標高885.0メートルの山である。 ひと際高く聳えた目立つ山で、松山市郊外のどこからでも同定できる。山名の由来は、障子を立てたように見えるからという説と、雪が降ると山のヒノキや杉の木が障子の桟で、雪が障子紙の
障子貼る(しょうじはる)は仲秋の季語。夏の間涼をとるためにはずして物置などに蔵ってあった障子を出し、敷居に嵌める前に紙を変える事。普通、紙を貼った重ね目に埃が溜まらないように、下から上へ貼っていく。米などで適当な濃さに作った糊を盆などに調え、刷毛で桟に塗り、障子幅に切った和紙を一気に貼る
。里亭多く打毬を相具すものなり。仍って俄に打毬を具せしむべきの由を下知す。絵所師信貞、則ち画図し了んぬ。立て替へせしむ」とある。これは朝干餉(朝餉)の間近くにある馬形障子の図が裏表両方とも馬になっていたが、片方が打毬の図である例が本来なので、すぐさま打毬の図に改めさせたということである。馬形障子の
上に負文亀、下に狛犬が描かれ、その東西すなわち左右のそれぞれ一間に古代中国の賢聖の画像が4人ずつ、あわせて32人の像がある。障子の上には色紙形が設けてありその下に賢聖像、裏(北側)には極彩色の花鳥が描かれる。色紙形には各賢聖の事蹟が記されるが、『禁秘抄』や『古今著聞集』によれば古くは色紙形には本文を
障子 久美(しょうじ くみ、1964年5月25日 - )は日本のシンガーソングライター。滋賀県彦根市出身。AB型。 松任谷正隆が主宰する「マイカ・ミュージック・ラボラトリー」出身アーティスト。 音楽プロデューサーの松任谷正隆に才能を見出され、ビクター音楽産業のinvitationレーベルから、松任谷