Ngôn ngữ
Không có dữ liệu
Thông báo
Không có thông báo mới
^ 1942年(昭和17年)に旧デシ551号(元・トク2号貴賓車)を復籍した際、車番を41号としたため本形式の41号と番号が重複した。本項の車両が1941年改番時に形式名を付与されなかったため、この復籍車両が初代モ40形を名乗っている。その後、1949年改番でモ85形に改称している。
※6:復籍後の廃車年。 [脚注の使い方] ^ 白井昭. “「名鉄80年」写真集に伴い 尾西・名電鉄等の車両解体さる”. 2012年6月17日閲覧。 名古屋鉄道広報宣伝部編纂 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史
1920年(大正9年)2月に1500番台の記号番号を付与されたグループとして最初に落成した。木造ダブルルーフ構造の車体を備え、側面には2箇所の片開式客用扉と13枚の側窓を配し、側面窓配置はD 13 D(D:客用扉、数値は側窓の枚数)である。落成当初より総括制御に対応したゼネラル・エレクトリック
と同一値に設定されている。 台車は住友製鋼所(のちの住友金属工業)ST-27形鋼組立形釣り合い梁式台車を装着する。制動装置はウェスティングハウス・エア・ブレーキ (WABCO) 製のSME非常直通ブレーキで、1500形1519 - 1525と同一である。集電装置は、トロリーポールを屋根上に前後各
名古屋鉄道株式会社(なごやてつどう、英: Nagoya Railroad Co.,Ltd.)は、東海地方の愛知県・岐阜県を基盤とする鉄道会社である。通称、名鉄(めいてつ、Meitetsu)。日本の大手私鉄の一つで、民営鉄道としては日本で3番目の歴史を持つ老舗企業である。
電装解除し、直通用の有蓋貨車に変更することにした。改造内容は電装品および両端の運転台の撤去、台車の交換などである。1918年(大正7年)9月の改番届では22両すべてが同年7月23日に貨車化されたことになっているが、営業報告書にある車両数の変遷は以下の通りである。 外された電装品
鉄道院を退官し支配人となる 1912年(大正元年)8月6日 : 郡部線の一宮線枇杷島 - 枇杷島橋 - 岩倉 - 西印田間と、犬山線岩倉 - 犬山間が開業。本格的な郊外路線の始まり。 9月1日 : 郡部線で貨物営業を開始。 1913年(大正2年)11月20日 : 柳橋駅開業、郡部線電車の市内線乗り入れを開始。 1914年(大正3年)9月6日 :
る。愛知製鋼の私有貨車であり、国鉄直通貨車であった。当初は手動ブレーキであったが、1961年(昭和36年)に国鉄直通貨車の空気制動装置の設置が義務化されたのに伴い、空気制動装置が設置された。 ト703、ト704は、1941年(昭和16年)に製造された富山地方鉄道ト71、ト74である。1954年(昭