Ngôn ngữ
Không có dữ liệu
Thông báo
Không có thông báo mới
5 D 5 D(D:客用扉)である。なお、1518のみは貸切列車としての用途を考慮して車内の設計を一部変更し、車内客室スペースが仕切り壁によって3区画に区分されており、「嫁入り列車」の異名で呼称されたという。 主要機器は前述の通りイングリッシュ・エレクトリック (EE)
鉄道(現・北恵那交通)へ譲渡された。同車は外板へ鋼板を貼り付けて簡易鋼体化を実施した上で1963年(昭和38年)6月27日付認可で同社モ300形321として竣功、1971年(昭和46年)まで運用された。 [脚注の使い方] ^ 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 (1971) p.63 ^ a
モ800形レポート (1)」 (1973) p.32 ^ a b c d e 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.39 ^ 「知られざる名鉄電車史2 2つの流線型車両 3400形と850形」 (2007) p.112 ^ a b c d e 「知られざる名鉄電車史2 2つの流線型車両 3400形と850形」
デボ600形に区分された7両は、1925年(大正14年)に製造された2軸ボギー構造を採用した木造車体の電車(制御電動車)で、先行して落成した1500形1501 - 1518(後の名岐デボ300形・デボ350形およびデボ400形・デボ450形)と同様に「郡部線」と通称される鉄道線区間に導入された。 1500形1511
^ 1942年(昭和17年)に旧デシ551号(元・トク2号貴賓車)を復籍した際、車番を41号としたため本形式の41号と番号が重複した。本項の車両が1941年改番時に形式名を付与されなかったため、この復籍車両が初代モ40形を名乗っている。その後、1949年改番でモ85形に改称している。
※6:復籍後の廃車年。 [脚注の使い方] ^ 白井昭. “「名鉄80年」写真集に伴い 尾西・名電鉄等の車両解体さる”. 2012年6月17日閲覧。 名古屋鉄道広報宣伝部編纂 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史
1920年(大正9年)2月に1500番台の記号番号を付与されたグループとして最初に落成した。木造ダブルルーフ構造の車体を備え、側面には2箇所の片開式客用扉と13枚の側窓を配し、側面窓配置はD 13 D(D:客用扉、数値は側窓の枚数)である。落成当初より総括制御に対応したゼネラル・エレクトリック
小径化され、そのため低速域の加速性能がデセホ700形より若干向上した。この車輪径の相違は後年の改造により両形式で統一され、差異は消滅した。 制動装置はSME非常弁付三管式直通ブレーキを常用制動として採用、手用制動を併設した。 集電装置は従来車と同様に、トロリーポールを