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国鉄タム7200形貨車(こくてつタム7200がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した私有貨車(タンク車)である。 本形式と同一の専用種別であるタム7300形(落成時は液化ブタン)、タサ5500形についても本項目で解説する。 タム7200形は、液化プロピレン専用の15
積込みはマンホールからの上入れ式、荷降ろしは吐出管を用いた下出し式である。 車体色は黒、寸法関係は全長は13,600mm、全幅は2,450mm、全高は3,884mm、台車中心間距離は9,500mm、実容積は37.5m3 - 37.8m3、自重は18.8 - 20.2t、換算両数は積車5.0、空車2
れ、自重落下底開き式の下出し方式である。台車はベッテンドルフ式のTR41Cであり、車輪が巻き上げた泥が取出口に付着するのを防ぐため、台車脇に大型の泥除けが設けられている。 全長は10,200 mm、全幅は2,550 mm、全高は3,430 mm、台車中心間距離は6,100 mm、実容積は22.0 m3、自重は15
t積私有貨車である。 記号番号表記は特殊標記符号「オ」(全長が12 m をこえるホッパ車)を前置し「オホキ」と標記する。 外観は私有貨車では唯一の流し板付き側開き式(ホキ800形と同式)である。 所有者は、日鉄鉱業の1社のみであり常備駅は後藤寺線の船尾駅であった。
00形に改められた。形式名変更後も1968年(昭和43年)まで製造され合計31両(ホキ4900 - ホキ4930)が落成した。 所有者は東洋曹達工業、徳山曹達の2社であり、夫々の常備駅は山陽本線の周防富田駅(現在の新南陽駅)、大阪環状線貨物支線の大阪港駅であった。 外観は大きく2種類に大別できる。前期形(ホキ4900
ホキ8825)が東洋曹達工業に、1982年(昭和57年)5月29日に奥多摩工業所有車1両(ホキ8816)、東洋曹達工業所有車2両(ホキ8826 - ホキ8827)の合計3両が河合石灰工業にそれぞれ名義変更された。 1984年(昭和59年)12月7日から1986年(昭和61年)8月30日にかけて河合石灰工業所有車3両(ホキ8816、ホキ8826
60両 (ホキ2336 - ホキ2395) 従来は丸型の積込口が4個設けられていたが、1967年製造のホキ2396 - ホキ2465の70両は長円形の大型積込口2個に変更された。台車はころ軸受のTR211形に変更され、従来車もこの台車に改造された。積込口の大型蓋は軽量化のためFRP製とされたが、重さが丸蓋の倍となる約40
箱型有蓋ホッパ車である内部は4室又は6室構造になっており、夫々の積込口、取出口を備えていた。荷役方式はホッパ上部積込口よりの上入れ、側面の取出口からの横出し式であった。 車体塗色は黒で、全長は10,500 mm、全幅は2,700 mm、全高は3,633 mm、台車中心間距離は6