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国鉄タサ5400形貨車(こくてつタサ5400がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した私有貨車(タンク車)である。 本形式は、液化プロパン専用の20 t積タンク車として1960年(昭和35年)8月16日から1963年(昭和38年)6月19日にかけて356両(オタサ5400 - オタサ5497、オタサ15400
無蓋ホッパ車であり、セラ1形を2両切りつないだ様な外観をしている。ホッパ下部は4分割されているため、底扉及びその開閉レバー(手動式)も4箇所あった。 荷役方式は、上入れ、底開きによる下出し式である。 全長は11,850 mm、全幅は2,724 mm、全高は2,690 mm、台車中心間距離は8
t積私有貨車である。 記号番号表記は特殊標記符号「オ」(全長が12 m をこえるホッパ車)を前置し「オホキ」と標記する。 外観は私有貨車では唯一の流し板付き側開き式(ホキ800形と同式)である。 所有者は、日鉄鉱業の1社のみであり常備駅は後藤寺線の船尾駅であった。
00形に改められた。形式名変更後も1968年(昭和43年)まで製造され合計31両(ホキ4900 - ホキ4930)が落成した。 所有者は東洋曹達工業、徳山曹達の2社であり、夫々の常備駅は山陽本線の周防富田駅(現在の新南陽駅)、大阪環状線貨物支線の大阪港駅であった。 外観は大きく2種類に大別できる。前期形(ホキ4900
ホキ8825)が東洋曹達工業に、1982年(昭和57年)5月29日に奥多摩工業所有車1両(ホキ8816)、東洋曹達工業所有車2両(ホキ8826 - ホキ8827)の合計3両が河合石灰工業にそれぞれ名義変更された。 1984年(昭和59年)12月7日から1986年(昭和61年)8月30日にかけて河合石灰工業所有車3両(ホキ8816、ホキ8826
60両 (ホキ2336 - ホキ2395) 従来は丸型の積込口が4個設けられていたが、1967年製造のホキ2396 - ホキ2465の70両は長円形の大型積込口2個に変更された。台車はころ軸受のTR211形に変更され、従来車もこの台車に改造された。積込口の大型蓋は軽量化のためFRP製とされたが、重さが丸蓋の倍となる約40
箱型有蓋ホッパ車である内部は4室又は6室構造になっており、夫々の積込口、取出口を備えていた。荷役方式はホッパ上部積込口よりの上入れ、側面の取出口からの横出し式であった。 車体塗色は黒で、全長は10,500 mm、全幅は2,700 mm、全高は3,633 mm、台車中心間距離は6
国鉄ホキ8300形貨車(こくてつホキ8300がたかしゃ)は、トウモロコシ及びコウリャン輸送用として1974年(昭和49年)に製作された35 t積の私有貨車(ホッパ車)である。日本国有鉄道(国鉄)、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に車籍編入されていた。