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尾西鉄道デボ200形電車(びさいてつどうデボ200がたでんしゃ)は、尾西鉄道が新製した木造四軸ボギー車。 1923年(大正12年)にデボ201 - 207の7両が日本車輌製造で新製された。1925年(大正14年)に尾西鉄道は(旧)名古屋鉄道に吸収合併されたが、本形式は車番・車種記号ともに変化はなかった。
側面は荷物室側の運転台にのみ500 mm幅の乗務員扉を設置し、逆側の運転台には同幅の側窓を設けたのみで乗務員扉は省略された。側面3か所に設置された920 mm幅の片開き式側扉のうち、乗務員扉寄りの1か所を荷物用扉とし、乗務員扉と荷物用扉の間に設置された440
座席は設置されなかった。立席定員はモ1300形が80人、サ40形が48人、サ60形が52人で、編成に椅子が1台もない、まさに工員輸送特化の列車であった。そのため終戦によって工員輸送が終了すると役目を終え、モ1300形(1301・1302)は元のデワ1000形(1003・1004)に、付随客車は元の貨車にそれぞれ戻された。
5 D 5 D(D:客用扉)である。なお、1518のみは貸切列車としての用途を考慮して車内の設計を一部変更し、車内客室スペースが仕切り壁によって3区画に区分されており、「嫁入り列車」の異名で呼称されたという。 主要機器は前述の通りイングリッシュ・エレクトリック (EE)
鉄道(現・北恵那交通)へ譲渡された。同車は外板へ鋼板を貼り付けて簡易鋼体化を実施した上で1963年(昭和38年)6月27日付認可で同社モ300形321として竣功、1971年(昭和46年)まで運用された。 [脚注の使い方] ^ 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 (1971) p.63 ^ a
モ800形レポート (1)」 (1973) p.32 ^ a b c d e 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.39 ^ 「知られざる名鉄電車史2 2つの流線型車両 3400形と850形」 (2007) p.112 ^ a b c d e 「知られざる名鉄電車史2 2つの流線型車両 3400形と850形」
デボ600形に区分された7両は、1925年(大正14年)に製造された2軸ボギー構造を採用した木造車体の電車(制御電動車)で、先行して落成した1500形1501 - 1518(後の名岐デボ300形・デボ350形およびデボ400形・デボ450形)と同様に「郡部線」と通称される鉄道線区間に導入された。 1500形1511
の1982年から1983年には従来の電動発電機に代わり福岡方先頭車(番号末尾04・08)に容量90kVAのSIVを取り付けた上で冷房化改造が実施され、1983年から1984年には左側前面窓上部に方向幕が設置された。1989年から1991年にかけて空気圧縮機が変更され、従来両方の先頭車に設けられていた