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尾西鉄道デボ100形電車(びさいてつどうデボ100がたでんしゃ)は、尾西鉄道が1922年に導入した木造両運転台の通勤形電車。 1922年(大正11年)にデボ101 - 103が1925年(大正14年)にデボ104-108の計8両が日本車輌製造により新製された。1925年(大正14年)に尾西鉄道は(
モハ101・102の台車は側枠を一体鋳鋼製としたペンシルバニア形軸ばね式台車で、外観・機構とも国鉄制式台車であるDT16台車に酷似したものであった。枕ばねは2連の重ね板ばねを採用する。固定軸間距離は2,250mm、軸受構造は平軸受(プレーンベアリング)式である。 クハ201 - 203の台車は汽車製造製形
32)が廃車となり、残った33は1973年(昭和48年)にデワ10形(11)に改番される。貨物取り扱いが廃止された1984年(昭和59年)以降も車両区での入換作業に使われた。車両が木造で傷みが激しく、改修工事を繰り返しながら大切に使われ、その外見ゆえに人気者だったと言われている。 1997年(平成9年)、渥美線の架線電圧1500V昇圧により廃車となる。
5 D 5 D(D:客用扉)である。なお、1518のみは貸切列車としての用途を考慮して車内の設計を一部変更し、車内客室スペースが仕切り壁によって3区画に区分されており、「嫁入り列車」の異名で呼称されたという。 主要機器は前述の通りイングリッシュ・エレクトリック (EE)
尾西鉄道デボ200形電車(びさいてつどうデボ200がたでんしゃ)は、尾西鉄道が新製した木造四軸ボギー車。 1923年(大正12年)にデボ201 - 207の7両が日本車輌製造で新製された。1925年(大正14年)に尾西鉄道は(旧)名古屋鉄道に吸収合併されたが、本形式は車番・車種記号ともに変化はなかった。
鉄道(現・北恵那交通)へ譲渡された。同車は外板へ鋼板を貼り付けて簡易鋼体化を実施した上で1963年(昭和38年)6月27日付認可で同社モ300形321として竣功、1971年(昭和46年)まで運用された。 [脚注の使い方] ^ 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 (1971) p.63 ^ a
モ800形レポート (1)」 (1973) p.32 ^ a b c d e 『名鉄電車 昭和ノスタルジー』 p.39 ^ 「知られざる名鉄電車史2 2つの流線型車両 3400形と850形」 (2007) p.112 ^ a b c d e 「知られざる名鉄電車史2 2つの流線型車両 3400形と850形」
デボ600形に区分された7両は、1925年(大正14年)に製造された2軸ボギー構造を採用した木造車体の電車(制御電動車)で、先行して落成した1500形1501 - 1518(後の名岐デボ300形・デボ350形およびデボ400形・デボ450形)と同様に「郡部線」と通称される鉄道線区間に導入された。 1500形1511