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(1)(1592-1673) 江戸前期の禅僧。 黄檗宗(オウバクシユウ)の開祖。 明の人。 諱(イミナ)は隆琦。 諡(オクリナ)は大光普照国師。 1654年来日, 60年に将軍家綱から宇治に土地を与えられ, 黄檗山万福寺を創建。 唐様の書風を伝えた。 著「普照国師広録」など。
演・惟一・無上・南源・独吼らがおり、月洲筆『普照国師来朝之図』にこのときの模様が描かれている。 隠元が入った興福寺には、明禅の新風と隠元の高徳を慕う具眼の僧や学者たちが雲集し、僧俗数千とも謂われる活況を呈した。 明暦元年(1655年)、崇福寺に移る。同年、妙心寺元住持の龍渓性潜の懇請により、摂津嶋上
無隠元晦(むいん げんかい)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の臨済宗の僧。 16年間にわたり元に滞在し、中峰明本の法嗣となる。嘉暦元年(1326年)に帰国したのち大友氏泰に招かれ、筑前顕孝寺、聖福寺にはいる。そののち京都建仁寺、南禅寺の住持を歴任した。馮子振が元に滞在中の無隠元晦
伊豆見元功の長男として、首里山川村(現沖縄県那覇市首里山川町)に生まれる。1910年(明治43年)沖縄県立第一中学校を卒業後、沖縄県第1回の貸費生として垣花恵常と共に東亜同文書院に入学する。1913年(大正2年)3月、同院を卒業し、三井物産上海支店に勤務する。のち芝罘出張所長を経て、上海支店
中国古代の高坏(タカツキ)に似た, 食物を盛るのに用いた器物。 青銅製の礼器は, 西周時代に現れ, 春秋時代に蓋のつくものがみられるようになった。
⇒ ささげ(豇豆)
乾果の一。 心皮子房が成熟した果実で, 乾燥すると二列に開裂するもの。 マメ科植物にみられる。 莢果(キヨウカ)。
マメ科の一年草。 古く中国から渡来し, 種子を食用とするため各地で栽培される。 高さ約50センチメートル。 葉は三小葉からなる複葉。 夏, 葉腋(ヨウエキ)に黄色の蝶形花(チヨウケイカ)を開き, 花後, 8センチメートル内外の円筒形の豆果を結ぶ。 種子は一〇個前後で, 暗赤色のものが多い。 ダイナゴン・キントキアズキ・ウズラアズキ・シロアズキ・リョクズなど品種が多い。 種子は甘納豆・あん・菓子・赤飯などに使う。 ショウズ。 ﹝季﹞秋。