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トク1・トク2は広幅窓を同5枚設置する。各窓の上部には明り取り窓が設けられ、明り取り窓上隅部は168号形と同じく曲線形状に処理されている。 屋根部は二重屋根(ダブルルーフ)構造を採用、二重屋根部の両脇には明り取り窓が設置されている。この明り取り窓は、168号形が片側8箇所であったのに対してトク1・トク2は片側10箇所と枚数が異なる。
名古屋鉄道株式会社(なごやてつどう、英: Nagoya Railroad Co.,Ltd.)は、東海地方の愛知県・岐阜県を基盤とする鉄道会社である。通称、名鉄(めいてつ、Meitetsu)。日本の大手私鉄の一つで、民営鉄道としては日本で3番目の歴史を持つ老舗企業である。
鉄道院を退官し支配人となる 1912年(大正元年)8月6日 : 郡部線の一宮線枇杷島 - 枇杷島橋 - 岩倉 - 西印田間と、犬山線岩倉 - 犬山間が開業。本格的な郊外路線の始まり。 9月1日 : 郡部線で貨物営業を開始。 1913年(大正2年)11月20日 : 柳橋駅開業、郡部線電車の市内線乗り入れを開始。 1914年(大正3年)9月6日 :
^ 1942年(昭和17年)に旧デシ551号(元・トク2号貴賓車)を復籍した際、車番を41号としたため本形式の41号と番号が重複した。本項の車両が1941年改番時に形式名を付与されなかったため、この復籍車両が初代モ40形を名乗っている。その後、1949年改番でモ85形に改称している。
※6:復籍後の廃車年。 [脚注の使い方] ^ 白井昭. “「名鉄80年」写真集に伴い 尾西・名電鉄等の車両解体さる”. 2012年6月17日閲覧。 名古屋鉄道広報宣伝部編纂 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史
1920年(大正9年)2月に1500番台の記号番号を付与されたグループとして最初に落成した。木造ダブルルーフ構造の車体を備え、側面には2箇所の片開式客用扉と13枚の側窓を配し、側面窓配置はD 13 D(D:客用扉、数値は側窓の枚数)である。落成当初より総括制御に対応したゼネラル・エレクトリック
小径化され、そのため低速域の加速性能がデセホ700形より若干向上した。この車輪径の相違は後年の改造により両形式で統一され、差異は消滅した。 制動装置はSME非常弁付三管式直通ブレーキを常用制動として採用、手用制動を併設した。 集電装置は従来車と同様に、トロリーポールを
と同一値に設定されている。 台車は住友製鋼所(のちの住友金属工業)ST-27形鋼組立形釣り合い梁式台車を装着する。制動装置はウェスティングハウス・エア・ブレーキ (WABCO) 製のSME非常直通ブレーキで、1500形1519 - 1525と同一である。集電装置は、トロリーポールを屋根上に前後各