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尾濃大橋(びのうおおはし)は、愛知県一宮市(旧葉栗郡木曽川町)と岐阜県羽島市の木曽川に架かる岐阜県道・愛知県道193号大垣江南線の橋である。 供用:1983年(昭和58年) 延長:767.5 m 幅員:10.0m 構造:下路平衡弦ワーレントラス橋9連 所在地:愛知県一宮市木曽川町玉ノ井 - 岐阜県羽島市正木町
濃尾大橋(のうびおおはし)は、愛知県一宮市と岐阜県羽島市の間の木曽川にかかる岐阜県道・愛知県道18号大垣一宮線の橋梁である。 かつての美濃路(美濃街道)に該当する。「起渡船」及び「駒塚渡船」があったが、1956年(昭和31年)この橋の開通に伴い廃止された。 1952年(昭和27年)に成立した道路整備
したもので、道路縦断線形は片勾配や支間中央が高い拝み勾配ではなく支間中央に向かってV字状に下がる勾配と珍しい構造をしている。 新しい技術として、箱桁内部の塗装をせず空気を循環させることにより除湿し防錆するシステムを試験的ではあるが国内で初めて導入した橋である。 [脚注の使い方]
0213:2004 で規定されている文字(『鉸ラーメン箱桁橋』の1文字目)が含まれています(詳細)。 中濃大橋(ちゅうのうおおはし)は、岐阜県美濃加茂市と可児市の木曽川に架かる国道41号(名濃バイパス)の橋である。 老朽化が進む太田橋の交通量負担の緩和するために太田橋の下流2kmに架けられ、ライ
人助け橋(お助け橋)」と称される。この橋も火の手が迫っていたが、警察官や在郷軍人たちが、避難民の荷物を全て川に捨てさせたことで、何とか難を逃れることができた。 現在でも橋の西詰にある久松警察署浜町交番敷地裏に「大震火災記念碑」、および「人助け
)の船頭たちが水難防止を祈願して始めた「水天宮川祭」の打ち上げ花火が起源となっている。この川祭は旧暦7月15日に開催され、船上での「六斎ばやし」の御囃子や万灯流しなども行われた。1925年(大正14年)に「起の川祭」となり、まきわら舟が登場し、戦時中も祭りは継続した(昭和初期に開催日が新暦8月15日になった)。
尾張大橋(おわりおおはし)は、愛知県弥富市と三重県桑名市の木曽川にかかる国道1号の橋である。 橋が出来るまでは「ふたつやの渡」と呼ばれる渡し船が存在していた。これは1873年(明治5年)、新東海道が設定された際に設けられたもので、1921年(大正10年)以降は愛知県営の無料渡船として運行されていた。
: 3径間連続鋼箱桁放射形斜張橋 管理 : 広島県 設計 : 日本構造橋梁研究所 施工 上部工 : 日立造船 下部工 : 大林組 日本道路公団の一般有料道路事業として建設。道路公団管理の橋としては初めて竣工した鋼斜張橋であり、日本で初めて主径間長が 200 m を超えた斜張橋である。 1966年(昭和41年)