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用し、側窓は中央部の2枚を残して塞いでいる。デシ500形の制動方式は手ブレーキだったが、車内に電気空気圧縮機を載せて空気制動化された。台車はデシ500形のマウンテン・ギブソン (MG) 製ラジアル台車(単台車)から日本車輌製C-12台車(ボギー台車)に換装。主電動機はデシ500形と同じ英国ブリティ
製された。車体は全長12mの2扉車。座席はセミクロスシートを採用する。機関はアメリカ、ウォーケシャ社製6SRLガソリンエンジンを搭載する。台車のうち片側は偏心台車(BB-75)を使用し、電車化(制御車化)された後も変更されなかった。
2400にも搭載されているものである。変速装置は欧州では1930-50年代頃に多用された常時噛合せ式の歯車をクラッチで切換える方式で、遊星歯車を使用したウィルソン式変速機(英語版)およびシンクレア製の流体継手を組合わせた5段変速のセミオートマチック方式となっている。
片デッキの車掌室化、もう一方のデッキの荷物室化が行われ、ワフ50形(ワブ50形)となった。 このうちワフ62は太平洋戦争激化による資材不足対策として客車化の対象となり、1943年(昭和18年)11月にサ60形(61)となった。客車化改造により車体に扉や窓が増設され、屋根にベンチレーター、天井につり
岡崎市内線廃止後、モ50形は他線区に転属することなく廃車となった。モ50形を含む単車18両のうち4両は1両四、五千円で個人に払い下げられ、14両は保育園や高等学校に無償譲渡された(譲渡先は#車歴表参照)。 廃止後、まず碧海郡桜井町(現・安城市)の城山保育園から車両譲
いたこと、貨車の共通運用などもあり同一の車両となったと推測される。当時は国鉄や他の私鉄と接続しない路線であったため乗り入れは考慮されず、連結器はピン・リンク式連結器であった。 ト50形(ト51・ト52)は、1926年(大正15年)に日本車輌製造で製造された美濃電気軌道ト319・ト320である。鉄道線
名鉄サ50形電車(めいてつサ50がたでんしゃ)は、かつて名古屋鉄道に在籍していた電車(付随車)である。 太平洋戦争の激化による資材不足の中で輸送力強化に対応するため、デワ1形電動貨車を廃車にしてその単台車、台枠、手ブレーキを転用して客車を製造することになった。車体は自社新川工場で木造シングルルーフ車体を新造しており、全長
キハ10形気動車(キハ10がたきどうしゃ)は、かつて名古屋鉄道(名鉄)で使用された、LE-Carタイプの気動車(レールバス)である。 本項ではキハ10形の改良型であるキハ20形気動車、LE-DCタイプのキハ30形気動車についても記述する。また、上記3形式の他社譲渡後の動向についても扱う。