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1943年(昭和18年)2月下旬に12両(セム3700 - セム3711)が汽車製造にて土佐石灰工業所有車として製造された。 当時の車両規定では私有石炭車、私有ホッパー車(そもそもホッパー車なる車種が存在しなかった)が鉄道省より認められていないため、国鉄線路上を運用することは不可能であった。この
て製造されたのが本形式である。所有者は、磐城セメント(1963年(昭和38年)10月1日に住友セメントに改称)。 本形式の積荷は袋詰めセメントで、その50kg入り700袋に限定したため、容積を53.8m3に抑え、荷室高は1,950mmと非常に低くされたのが特徴である。車体は、漏水を防ぎ、積荷の化学
チム1形3両(チム11,チム12,チム15)が北海道拓殖鉄道に譲渡され、チム310形(チム311,チム310,チム312)となった。 1944年(昭和19年)7月1日に胆振縦貫鉄道が戦時買収により国有化され、胆振縦貫鉄道に在籍していたチム1形2両がチム50形(チム1,チム2→チム50,チム
しかし同年に形式消滅となった。在籍期間も短くまた戦時中のため資料も少なく詳細は不明である。 鉄道省廃車後の2両が定山渓鉄道へ譲渡されセ1形(定山渓鉄道)(セ12、セ2→セ1、セ2)に定められた。この際同時にセ50形5両、セフ1形2両、セフ20形1両の総計10両の車両が定山渓鉄道へ譲渡された。沿線に大きな炭鉱を持たない定山渓鉄道がこれ
れ、自重落下底開き式の下出し方式である。台車はベッテンドルフ式のTR41Cであり、車輪が巻き上げた泥が取出口に付着するのを防ぐため、台車脇に大型の泥除けが設けられている。 全長は10,200 mm、全幅は2,550 mm、全高は3,430 mm、台車中心間距離は6,100 mm、実容積は22.0 m3、自重は15
無蓋ホッパ車であり、セラ1形を2両切りつないだ様な外観をしている。ホッパ下部は4分割されているため、底扉及びその開閉レバー(手動式)も4箇所あった。 荷役方式は、上入れ、底開きによる下出し式である。 全長は11,850 mm、全幅は2,724 mm、全高は2,690 mm、台車中心間距離は8
t積私有貨車である。 記号番号表記は特殊標記符号「オ」(全長が12 m をこえるホッパ車)を前置し「オホキ」と標記する。 外観は私有貨車では唯一の流し板付き側開き式(ホキ800形と同式)である。 所有者は、日鉄鉱業の1社のみであり常備駅は後藤寺線の船尾駅であった。
00形に改められた。形式名変更後も1968年(昭和43年)まで製造され合計31両(ホキ4900 - ホキ4930)が落成した。 所有者は東洋曹達工業、徳山曹達の2社であり、夫々の常備駅は山陽本線の周防富田駅(現在の新南陽駅)、大阪環状線貨物支線の大阪港駅であった。 外観は大きく2種類に大別できる。前期形(ホキ4900